みいさんの神さんは、年に一度、護摩焚きにもやってきた。
上田秋成の『雨月物語』に『吉備津の釜』という一編がある。
まさにそれと同じように、釜をもってきて、湯をじゃんじゃん焚き、その上に胴の太い円柱のようなものをたてる。しばらくすると、その釜が「ボーーーーッ」という地の底から唸るように鳴り始める。
この音が吉兆で、やがて火からはずしても鳴り続けるようになる。みいさんの神さんは、この音の鳴る釜を各部屋にもっていく。部屋によって、音は大きくなったり、小さくなったりする。科学的なことを言えば興ざめだが、今考えるに、湿度とか、そういうものが関係するのかもしれない。
だが明らかに、音が変わるのである。
『吉備津の釜』は、神様に報告しても音が鳴らなかった縁談が、やがて恐ろしい不幸を呼ぶ話だ。
音が鳴らないことは不吉なのである。
祖父母の家でも、一箇所だけ、音が鳴らない部屋があった。それはあの、浴室のそばにある小部屋だった。
その部屋に入るなり、ことりと音が途絶えるのである。
「あきませんな。やっぱりこの部屋は」
みいさんの神さんは、真面目な顔でそう言った。額に汗が滲んでいた。
そして仏間に出ていくと、また釜は威勢良く鳴り始めた。
両手で釜をもち、畳みを踏む白い足袋が踵を返す様が、脳裏に残っている。
そこから何十年も経って、祖父が亡くなった後に、祖母はなぜかその部屋に寝床をつくった。
私はなぜあんなに忌まわしいところで寝るのかと、おばあちゃんに何度も意見した。
「ベッドは楽やで」
祖母はそう言った。確かに、仏間にベッドを置くのは気が引けたのかもしれない。ベッドというものは、ある意味万年床であるからだ。
昔の人はそういう仏間への畏敬の念をもっていた。
やがて、脳出血で倒れることになるまで、祖母はそこで寝ていた。
もし、あの部屋で寝ていなかったら、と、私は今でもふっと考えることがある。