祖父母の家の仏壇は大きかった。子どもの私などすっぽり入ってしまいそうなくらいだった。
観音開きの戸を開けると、両脇に蛇腹にたためるさらに薄い紗の扉があって、それを開けると、金色の装飾があって、真ん中に過去帳があった。
浄土真宗の檀家で、すぐそばにお寺があったので、”おじょっさん”と呼ばれる僧侶がしょっちゅう来ていた。月命日というのがあって「おたけさんが亡くなった日」とか「和子さんがなくなった日」というように、いろんな人が亡くなったそのものの日以外の、他の月もその日に、いらしていたように思う。
お布施などどのくらいだったのか、その度ごとに出していたのか、そこまではわからない。ただおじょっさんが来ると、お茶とお菓子がお盆に載っていた。
戦時中、祖父母は私の母の上にいた長女の和子を9歳で亡くしていた。
食べ物が少なく、栄養失調だったということだが、もともと弱かったのだろう。
母は、小さい頃、その和子ねえさんと一緒に寝ていたときのことをよく語った。
「暑い夜に、扇ぎあいっこしようということになって、先に和子のねえちゃんが扇いでくれるねんけど、気持ちよくておかあさんは先に寝てしまうねん。起きられへん、もう寝てしまうというときに、陽ちゃんずるいわ、っていう声がかすかに聞こえて。優しい人やったわ。だから、食べるもんも、誰かに譲ってしまうねん」
最愛の長女を亡くした祖父は、しばらく働くこともできず、寝転んで鼻歌ばかりうたっていたそうだ。
私は仏壇の前に座ると、いつも和子さんに話しかけた。
ひいおじいちゃん、ひいおばあちゃんの写真を見ながら、そこに写真のない和子さんのことを思った。
祖父母はおそらく、悲しすぎて写真など飾れなかったのだろう。
仏壇の真ん中に引き出しが二つあり、その左側にいくつかの数珠が、右側にお線香とろうそくが入っていた。
自分でつけられないのに、私はよくお線香を立てさせてほしいとせがんだ。
緑色の線香に火をつけると、細い煙がたなびき、仏壇のなかに吸い込まれていく。
死ぬとはどういうことだろう。死んだらどこへいくのだろう。ただ周りの人にやさしくして、9歳で死ぬってどういうことだろう。なんのために、その人は生まれてきたのだろう。
あるとき、和子さんの夢を見た。
その部屋の両側に家族みんなが並んでいた。
仏壇から白い煙がふわふわと現れ、その煙のなかから、和子さんが現れた。
前髪を短くしたおかっぱの、いつか見た写真のままだった。
いろんな人がずらりといるのに、彼女は私の前に来て、言った。
「あやちゃん。陽ちゃんのこと、頼むで」
それは私の母、陽子のことだ。
私は頷いた。「なんで死んだんですか」と口走って、目が覚めた。
ひんやりとした、その夢のなかの部屋の気配が、胸に残った。
仏壇が、一家の大事な場所にあった。
あそこには、確かに亡くなった人たちがいる気がした。
お線香をあげるということは、その人たちと語り合うということだった。
私たちはいろんな思いを伝え、聞こえぬ思いをまた聞いた。
言葉ではなく、たなびく一筋の煙で。
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photo Keita Haginiwa
Hair&Make Takako Moteyama