母は2種類の端切れを買ってきて、私にビキニを作ってくれた。表地はオレンジと白のボーダーでパルナス坊やみたいなイラストがところどころに飛んでいる。 裏地はサッカー生地で、白地にピンクと黄緑の水玉模様だった。
「こっちがいい」
私は裏地のほうが好きだった。しかし母親は「こっちの生地が表のほうがかわいいよ」と私を説得した。
母親は7ヶ月だか8ヶ月だかの大きなおなかをしていた。夜なべして作っていると、父が「そんなまでして作らなあかんか」と笑って言った。
浮き輪も買ってもらった。赤いビニールにディズニーの「101匹わんちゃん」の絵の浮き輪だった。
それらは父のボストンバッグにしまわれ、私は母方の祖母がその日のためにと作ってくれた水玉のワンピースを着て、父と汽車に乗った。
父と二人、というのは、なんとも気詰まりだった。赤ちゃんが泣くと「うるさい」と言い出しかねないようなところがあったし、当時はサラリーマンで、朝出ていって夜は飲んで帰ってくるからほとんど接点がない。休みの日に遊びに行っても、行動は自分中心で、思うようにならないと不機嫌になり、小言ばかり言った。私は命令の多い父と何を話していいのかわからなかった。
だから汽車のなかでどんなふうに過ごしていたのか、何も記憶がない。私は車窓の走っては流れる景色を見ていて、時々、眠った。
お弁当を食べた記憶もない。
しかし、父方の祖母の実家である宮戸家に着いたとき、「亮ちゃん」と呼ばれる父は嬉しそうだった。のびのびしてくつろいでいた。そんな父を見るのは初めてだった。
「綾ちゃん、肌、真っ白やねえ」
そこにいる親戚の人たちが言った。彼ら彼女らは、祖母のように一様に日焼けして黒かった。
3つか4つ、年上だという親類の男の子がやってきた。
「⚫︎⚫︎も、⚫︎⚫︎も、連れっててよ。そいで山も行ってよ…」
よー、よー、やー、やーと言っていることしかわからなかったが、なんだかとても自分を大事にしてくれていることだけはわかった。私はうれしかった。うれしかったけれど、なんでこんなに言っていることがわからないんだろう。
父と私は疲れているだろうから、すいかでも食べて風呂に入ればと言われた。
そこでどんな晩御飯だったかなど憶えていないが、お風呂は母方の祖母の家のような檜風呂ではなかった。ひょっとしたら、まだ薪で焚くような風呂だったかもしれない。
お風呂から上がると「よけい白うなった」と、また白い、白いと言われた。
日が落ちると、冷房がなくてもひんやりしていた。
潮風が吹くと、匂ったことのない匂いがした。生ぐさいような、ひたひたと近づいてくるような風。
それが海の匂いなのか。
明日はいよいよ海に行けると思うと、私はどきどきしながら、それでもぐっすり眠ってしまった。