それから、午後だったのだろうか、今度は「きよしのおっちゃん」と呼ばれる祖母の弟のところへ行った。
「まだあそこで一人で住んどんの」
父が聞くと、宮戸のおばちゃんは「そう、あぶないっつうとるのに」と言っていた。
きよしのおっちゃんは、片方の脚が萎えていた。なんでも、若い頃に船から落ちて、医者に行けずにそのままにしていたら、固まって不自由になってしまったらしかった。
彼は一人で、海岸に近い小屋に住んでいた。
その小屋から、海までどのくらいの距離があったのか、今はわからない。ただ私はあんなに恐ろしい波が、ここまで来たらどうするのだろうと怖かった。
「ようきたの」
骨ばった黒いガタイのきよしのおっちゃんは、祖母に似ていた。ごつごつした大きな手と長い脚がそっくりだった。でもその片方の脚を、鼻緒のない下駄に乗せて、ひきずって歩いた。
「器用ななあ」
父は独り言を言った。
私は、身内で、肢体が不自由な人を初めて見て、少なからずショックを感じていた。
千林商店街には、戦争で脚をなくしたという、大正琴を弾く白装束の物乞いがいたが、その人を初めて見たショックとはまた種類が違った。
何かこう、もっと自分に迫っている「私もこうなることがあるかもしれない」と思えるような。
そんな私の表情をまったくわからないように、きよしのおっちゃんはにこにこしていた。そして「桃むいたろ」と言って、水屋へいき、井戸水で冷やしてあった大きな白桃をむいてくれた。
桃の皮は指でもするするとむけた。
ごつごつした指の間から、桃の汁がしたたり、なんともいえない甘い香りがした。
私はその桃を口に含んだ。そんなに甘い桃を食べたのは初めてだと思った。
最後に残った種のまわりをおっちゃんはちょっと味見するようにして、片付けた。
私は大阪にいる、母方の祖母や母が、いつもその桃の種のまわりの実を食べる役目であることを思い出した。
そこを食べる人は、ここにいるみんなのことを一番大事に思っている人だ。
きっと、きよしのおっちゃんも、父と私のことを大事に思ってくれているのだろう、と思った。
そうしていつか、自分も桃の種のまわりを食べる役割をするのだと想像した。
大阪に帰ると、母や祖母に「ちょっとおねえちゃんになったみたい」だと言われた。
初めてのことがありすぎた。嘘もつかれた。怒った。がっかりした。あんなに美味しい桃を食べた。…
不思議なことに、怒ったりがっかりしたことも、家に帰って思い出してみると、きらきらして見えた。
旅というものには、そんな魔法があるのだ。
そこで出会ったいろんなことが、全部、旅なのだ。
私は、そこから人生を通じて、旅が好きになった。
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photo Keita Haginiwa
Hair&Make Takako Moteyama