父はその頃、プラスチックの加工会社に勤めていた。営業だったらしいが、昼食を早食いした後、工場の机で寝ているという噂だった。
それは毎日のように接待だなんだと食べては飲み、タクシーで帰ってくることがほとんどだったからである。
たまにあまり食べずに早めに帰ってくると、母の料理の分量では足りないらしく「出前をとろう」と言いだした。
「おい『ちゅー』に電話せえ」
母親は「また〜」と言いながら、注文をメモした。
餃子3人前、豚の天ぷら、八宝菜。
だいたいそんなところだ。
しかし当初、ここは本当にまずくて有名な店だった。
たまに店の前を通りかかると、お客さんが入っていないのが見えた。調理着の白いズボンの裾を長靴に入れた店主は、あひるのような唇でテレビを見ていた。
「ちゅー」の餃子の皮は厚ぼったくて重たく、焼きも甘くてやや中身が開いたりしているのもある。八宝菜も味がぼやけていて大きめに切った野菜が生っぽかったりした。
「まずいな」
私たちは黙々と食べたが、お皿を取りに来た店主に、父は言った。
「あんたとこ、出前してくれはんのん、ありがたいけどなあ。もうちょっと味がよかったらなあ」
店主は肩を落とし、すんまへん、すんまへんと聞いていた。
それでも父は出前をとることはやめなかった。
二度。三度。しばらくして出前をとると、味ががらりと変わっていた。
餃子はキャベツが多めになり、皮の焼き目も揚げたようにかりっとしている。そこにタレとラー油をさっとかけた状態でやってきた。
八宝菜の顔つきも変わっていた。味がしっかりついて、真ん中にうずらの卵。
豚の天ぷらもからっと揚がっていた。
「めっちゃ美味しなってる!」
私たちは大喜びした。
またお皿を取りに来た店主に、父は言った。まるでホームランを打った阪神タイガースの選手をほめるように、ほめた。
「えらいうまかったですわ。なんや、変わりましたな」
ちゅーの店主は、やっぱり長靴だったが、胸を張った。
「実は昼間はよその中華料理屋で働いて、勉強してますねん。ほんで、この頃は夜だけ開けていて」
「それは偉い。あんた、偉いなあ」
あひる口の店主は頰を赤らめて、うれしそうに帰っていった。
父はその背中を見送って言った。
「勉強しはったんやなあ」
私たちはなんだかうれしくなり、それからさらに「ちゅー」の餃子をとる回数は増えた。
酢としょうゆ、そこにラー油が混ざったあの餃子の香りと味、それに、あの店主が自転車をこぐ後ろ姿を、今も思い出せる。思い出せるけど「ちゅー」も、もうなくなってしまった。
小さな町に、大手チェーン店の餃子の店が立ち並ぶ。
私はその看板を見るにつけ、ちょっと胸がちくっとする。
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photo Keita Haginiwa
Hair&Make Takako Moteyama