夏祭り、天神祭ときて、地元のクライマックスは秋祭りだった。
秋祭りは9月14,15日。祖父に言わせれば「これがほんまの祭り」であった。
夏祭りのような縁日の賑わいに加え、各町から神輿が出るのである。
旭区には旧町名があり、いわゆる被差別部落もあったので、それをなくすため、昭和40年代に町名が統合された。しかし、祭りの神輿だけはその旧町名が復活し、各町のキャラクターが一斉に浮かび上がった。
江戸の昔、部落の人たちは神社も別宮にしかお詣りできなかったのだという。しかし祭りの日だけは、本宮にお詣りすることを許されていたそうだ。
ヤクザっぽい人が多い町。おとなしい人が多そうな町。喧嘩っぱやい人が多そうな町。仕切りの強い町、品のいい町、他所から来た人が多い町。
町は半被の柄でわかるようになっていた。そして神輿の上には男子たちが乗り、太鼓を叩いた。叩き方でまた、どの町かがわかるようになっていた。
母方の祖父母の上辻町は古くから商売人が多く、青年会の人数も多くて統制されている方であったから、子どもたちも従え、かなりの人数であった。半被の柄は市松で、流れるような字で上辻と書いてあった。
その上、神輿も大小あり、4人乗りと2人乗りがあった。
神輿の上に乗る男子は小学校高学年から中学、高校まであたり。軽い方が望ましいわけだから、シュッとした綺麗な男子が多かった。この男子たちの衣装がまた美しく、柿色に近い朱色の着物に白い襷をかけ、緑の袴を履くのである。そして、真っ赤で後ろに垂れのある高い烏帽子をかぶる。着物も袴も受け継がれているものなので、洗われてこなれたなんともいい色になっている。
「なんで男の子しか乗られへんの」
「あぶないさかいなあ」
子どもの私が羨ましがると、祖父は走り出しそうな私の肩に手を置いて、トントンと宥めた。
どうやら私の母も、その神輿に乗りたがったらしい。
祖父の姿を見つけると、神輿を先導している青年が走り寄ってきて「ここで捧げたや」と神輿を誘導した。
玄関の前で仕切り直しをしてくれるのである。これをしてもらうと、厄払いになるという。
「さあ打ちましょう。
〜ドンドン
さあもひとつせえ
〜ドンドン
よいやっさのー
〜ドドンドン ドデドン ドデドン こりゃこりゃ…」
祖母が慌てて奥からやってきてご祝儀を渡す。
祖父は満足げな笑顔で、神輿を見送っていた。
彼らの一杯ひっかけている日本酒の匂いが、いなくなってもそこらへんに漂っていた。
八幡神社では、それぞれの神輿が時間差で奉納を行うのが慣わしだった。全ての町の神輿が別宮にも行った。結局、差別の気持ちは本当はないのだという気がする行動だった。だから祭りは胸がすくような空気が漂っていた。
ただし、あえて二つの町の神輿が神社の前でぶつかり、喧嘩を演じるような時もあった。
おそらくそれは、長い歴史の中で「喧嘩」を形骸化するための知恵だったのではないだろうか。だからあえて神聖な神社の前を選び、形として「喧嘩」を再現し、仲直りするという物語を作るのである。
ただ時々、その喧嘩に本気になってしまう人たちもいた。それもまた面白くて、人だかりができた。
私の記憶では、今のデモのように、すでに警察官が一緒について歩いていた。この神社前は、警察官の笛が鳴り響いていた。
そんな時に「仕切れる」男たちは人気になった。神輿での勇壮な姿を見て、ついて回った女性と結婚する人もいた。
その時に「かっこいいな」と思っても、普段は普通のおじさんたちだった。子ども心にその変身ぶりを悟った私は、大人になるまで、とうとう半被の男を好きになることはなかった。
スキー場でコーチを好きになったり、海でサーフィンをする姿を好きになったりするのと、それはとても似ていたのである。
秋祭りは、日本中にある五穀豊穣を祝うものだ。
だから祖父は「秋祭りがほんまもんの祭りや」と言った。
生きるための食物が豊作であることを祝い、生きていることに感謝する。
秋祭りは生の祭りだ。
実はこの三つのお祭りに挟まれて、8月末に「地蔵盆」というのがあった。
公園のお地蔵様に、地元の婦人会のおばさんたちが御詠歌を捧げる。公園の空を覆い尽くすように、子どもの名前が書いた提灯が飾られた。御詠歌が終わると、列を作った全ての子どもたちにお菓子が配られた。
御詠歌は重々しく、祭りの雰囲気ではなかった。が、提灯は華やかで、自分たちの名前が書かれた提灯を探すのが毎年楽しみだった。
お地蔵様は、仏がいなくなったこの世の人々を弥勒仏が出現するまでの間救ったとされる菩薩だそうだ。道端に、墓地の奥に、公園の片隅に、ひっそり見守る姿も、私たち日本人は祭りの対象とした。
それは他の三つの祭りと違って、亡くなった人への静かな思いがあった。
生きる者たちが、生かされていることを誰かの死によって知るような、悲しみの上にある感謝と、祈り。
夏祭り、天神祭り、地蔵盆、秋祭り。
子どもの頃のあの祭りの起承転結は、夏から秋へと季節を生き抜く庶民の小さな物語だった。
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photo Keita Haginiwa
Hair&Make Takako Moteyama