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  • その21「菊を愛でるひと」

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●棺に入れた白い菊

 父は祖父の出自を一度には話さず、ことあるごとに、少しずつ私に話した。
 なんでも私の曽祖父母はもともと中国の東北部で駆け落ちをしたという事だった。曽祖母の村は「黄」という姓の人だけの村で、そこへ漢方医だった曽祖父が訪れ、恋に落ちた。曽祖父がどこの国の人間だったのかはよくわからない。「他所ものとの結婚などもってのほか」と言われ、二人は手に手を取って旅に出た。途中、祖父が生まれ、流れ流れて韓国の全羅南道、盤山里に落ち着くことになる。そこで曽祖父は40歳にもならずに亡くなった。曽祖母は女手一つで田畑の真ん中に居酒屋を開き、ツケが払えなくなった人たちには畑をもらって、気づけば土地持ちになっていたという。
 日本が統治していた時代だったので、祖父は子どもの頃から日本語を学んだ。日本軍の教師はとても人柄の良い人だったようで、勤勉で字の美しい祖父は可愛がられた。

「もっと勉強をしたかったら、日本に行った方がいい。日本に行って、大学へ行きなさい」

 その人が言うように、祖父は船で日本へ来た。日本ですでに働いている先輩を訪ねて。しかし、ガム工場で働いていた先輩は「お前など知らない」と言った。頭が真っ白になって祖父はとぼとぼと大阪の町を歩き始めた。ずいぶん歩いて、その先輩が追いかけてきた。「悪かった。でも、おまえを知っているといえば、自分の素性が知れてしまう。やっと掴んだ仕事なんだ」。
 祖父はその先輩を責めることもできず、公園のベンチで寝転がっていた。
 このまま、どうなるんだ。今更、帰れない。
 すると、釘を拾っている人がいた。後ろについて釘を拾って、持っていくと、お金をくれた。
 鉄屑を拾う仕事から、今度は住み込みの飯場へ。
 ダムの工事現場にいた時、字の書けない日本人の労働者のために、手紙を代筆した。祖父は本当に綺麗な字を書いた。漢字も、ひらがなも。皆喜び、現場を仕切っていた夫婦が「大阪で働きながら、もっと勉強したらどうか」と勧めてくれた。

 祖父の人生は、すべてが人との縁で切り開かれていく、奇跡の積み重ねだった。
 騙されたり、差別されたり、戦時中は憲兵に連れていかれたりと、いろんなことはあっただろうが、私の知っている祖父はもはや穏やかに余生を送る老人だった。
 そんな祖父と、私は一度も彼のそんな素性について話を聞いたことはなかった。
 しかし、亡くなる直前に、病院に呼ばれて行ったとき、母と私の前で、横たわる祖父は言った。

「帰りたかった。親不孝した… 親不孝した」

 うっすら開けた目をもう一度閉じ、目尻からスーッと涙が溢れた。
 母と私は言葉を失って、見つめるしかなかった。
 日本に来てくれてありがとう、と言うべきだったのかもしれない。でないと、私はここにいないのだから。でもそんなことすら浮かばなかった。
 その言葉に全てが込められていたから。
 祖父が自分の心と日本を縛りつけていた、見えない鎖はなんだったのか。
 望郷の思いを縛り付けてまで、日本人であろうとしたのは誰のためか。
 自分のためか。家族のためか。
 私は葬式の間中も、ずっとのそのことを考えていた。
 棺の中で、祖父の亡骸は菊の花に覆われた。

「おじいちゃんは菊が好きだったから」

 母が言った。
私は自分にそっくりなその頬骨の脇に、白い菊を置いた。

●遺構と、香水

 遺品のなかで、もっとも驚いたのが、その遺稿だった。
 筆文字で丁寧に楷書で書かれた論文を装丁したものが残っていたのだった。
 原稿用紙にして1000枚はあったという。その黒い本は、当時の百科事典の1冊ぐらいの分厚さがあった。
 なんでも、彼が大阪市の市民病院に勤めていたとき、戦後間も無くに募集された、健康保険についてまとめた論文だったという。
 無機質な感情のない文章。しかし、その美しい文字の羅列には、語学を学んだ者の誇りと、執念と、日本人になれた喜びと感謝が込められていた。
 外国人である祖父に、こんなに綺麗な文字で故郷へ手紙を書いてもらった日本人たちは、どんなに不思議な気持ちがしたことだろう。
 直筆の紙を装丁し「本になった」と喜んでいたという祖父。それは、印刷され、出版された書籍ではないけれど。
 私はそれを見た時に、必ず、自分は出版される書籍を書く人になろう、と決めた。
 その想いだけで、ひょっとしたら30年近く、物書きという見えない看板を掲げ続けてきたのかもしれない。
 そしてその看板は下ろすことができない。
 もう一つ、驚いた遺品があった。
 それは丹頂チックの丸い小さな缶と一緒にあった、ひと瓶の香水だった。
 「琴」だったのである。
 私が初めて自分で選んだ香りを、祖父もどこかで選んでいたという偶然だった。
 その香りには何か、私と祖父をつなぐ、いや、もっと祖先の遺伝子に刻まれたものがあったのだろうか。
 なぜ女性もののその香水を祖父がもっていたのか。
 瓶を取り、左の手首につけてみた。
 すずらんでもクチナシでもなく、これは菊の香りを潜ませてはいまいか。
 香りは言葉をもたない。
 聴いてみたいことは山ほどあった。もっと、話したかった。
 でも私と祖父はほとんど、会話というものをもったことがなかったのだった。


https://www.facebook.com/aya.mori1

photo Keita Haginiwa
Hair&Make Takako Moteyama

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