明日は総務の面接という日、紹介者であった当時文化部長の松枝さんから電話がかかってきた。
「おまえさん、ここへ来ても針のむしろやぞ」
「は…」
それだけ言って電話はがちゃりと切れた。あとで分かったことだが、私の前任者の女性が「やっぱり辞めたくない」と不貞腐れ「部長は自分の女を会社に入れたがっている」などと吹聴して回ったらしい。
なんとなく、想像がついていた。私はカチッとした紺色の細かい千鳥格子のスーツを選び、髪を三つ編みにして最終面接に行った。30歳も年の離れたおじさんと付き合うわけがないです、というのをビジュアルで証明したのである。
総務の人は「あらま」という拍子抜けした顔をしていた。もっと色っぽいおねえちゃんを想像していたのだろう。
「大変な職場だと思いますが、前任者にいろいろ聞いて、しっかり引き継いでください」
前任者の仕事は、ラテ欄担当だった。配信会社からくる元の番組表が印刷されてあり、そこへワイドショーの内容など前日にわかるものがファックスで流れてくる。それを切り貼りしたり、手書きで入れたりする。記者というには程遠い仕事だった。
朝は誰よりも早く来て、お湯を沸かし、文化部14人全員のお茶の支度をする。帰るときに、その全員分のお湯呑みを洗う。他社のスポーツ紙を全紙チェックし、当日のスポニチの記事をジャンルごとにスクラップする。
部費の管理などというのもあった。あとはデスクや記者たちに雑用を命じられることもあった。要するに、雑用だった。
しかしながら、私はこう言われていた。
「来年の4月にはラテ欄からコンピューター化される。もう切り貼りは必要なくなるから、空いている時間に取材に行って原稿を書けるようになるから」
それだけを夢見て、雑用に勤しんだ。「針のむしろ」は言い過ぎだったけど、前任者は私に「何も教えない作戦」に出ていた。私は必死で彼女がやっていることを観察し「それはなんですか」「それはどうするんですか」と質問攻めにして、仕事を覚えた。
デスクは3人交代で、うち1人は私が原稿を書くことを嫌った。午前中に出社するのは、だいたい編集委員になってより自由度が増した松枝さんと、デスクと、私だ。
松枝さんはひどく早く出社して、私に言いたいことだけ言って「さよなら〜」と居なくなる。
すると、松枝さんを捕まえようと、大手芸能プロダクションの社長たちから電話がかかってくる。当時は携帯電話などなかったから。
「松枝くん、いる?」
「もう取材に出かけました」
「そうか…。君は秘書?」
「いえ、記者なんですが、一応、松枝さんへの電話は全部受けて、本人に伝えています」
「そうか。大変だと思うけど、頑張ってね。これからは女性記者の時代だよ」
そう言ってくれるのは、アミューズの大里さんだった。
あるとき、女性記者反対派のKデスクと、私の2人になった。
Kデスクはちょっと話しておきたいんだけど、と私を呼んだ。
「記者になろうなんて思わなくていいから。女の子は外へ出なくていい。女の子にできる仕事じゃないんだから。雑用さえやってくれたらいいんだ。それで早く帰りなさい」
面と向かってそうはっきりと言われて、悔しくロッカーで泣いた。いったい私はなんでこの会社に入ったんだろうと思った。