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その28「ドレメ式、文化式、旧式」
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  • その28「ドレメ式、文化式、旧式」

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●勉強より、着物が好き

 母方の祖母は大正元年の生まれであった。元の名を山本島香という。島香と書いて、しまこ。素敵な当て方の字だと思うが、祖母は他人と違うのが嫌だったのか、自分では「島子」と書いたりしていた。妹は「美代子」だったので、それと比較すれば、なんだか格段に洒落た名前だ。
 祖母の家は鹿児島だったが、もともと山本家は和歌山だったという。なぜ鹿児島に行ったのか、よくわからないけれど、父親は厳格な人で、女子も手に職をつけなければならない。従って、学問をするべきだという考えの人だったという。

「おばあちゃん、勉強嫌いやってん。ほんでな、本読みながら、うとうとしてしまうんや。ほんなら、お父さんが火箸を火鉢にパシッと叩かはんねん」

 妹の美代子は勉強が好き、本が好きな人だった。大人になってからも、時々、うちの父が取っていた写真入りの日本古典文学全集の「源氏物語」や「枕草子」を借りにきていた。
 そして玄関先で感想を語り合ったり、ここが面白いんだという話をするのだが、後の人たちにはまるでちんぷんかんぷんであった。

 その美代子大叔母は看護婦(あえて看護士とは書かない)になり、大阪の日赤病院に勤めて、眼科医と結婚し、開業した。
 勉強嫌いだった祖母は、料理や和裁、洋裁を学び、お見合いで大阪で工場を立ち上げたばかりの梅原という男と結婚した。それが私の祖父である。
 祖母は勉強は嫌いでも、家事はパーフェクトだった。
 さまざまな料理、梅干しなどの季節の手仕事、糊から自作する洗濯、拭き掃除。そういう日々のあれこれから、浴衣を縫ったり、ワンピースを縫ったり、毎日やることだらけだった。

 大叔母と祖母の共通の趣味はといえば、とにかく着物だった。
 祖母は工場の手伝いもしていたが、一緒に商店街へ買い物に行くと、ちょっとだけ呉服屋さんのウィンドウを見に行った。
 呉服屋さんのウィンドウには、だいたい、仮仕立てをしたものが1枚かかっていて、あとは反物を二つばかり、たらり、と陳列してあった。
 お正月を過ぎれば梅や桜の柄の京友禅が。
 初夏になると、絽の反物や、浴衣が並んだ。
 おそらくそれを見るのが、日々の彼女の唯一の楽しみだったのかもしれない。
 本当に時折、店の中へと誘われて、新しく入荷したものを見せてもらったりしていた。

「奥さん、紫入りましたで。この色はそうそうありませんわ」

 祖母は紫の着物が好きだった。やや浅黒い肌の祖母に、紫は落ち着きを与える色だった。
 しかし彼女は私に悪いことをするようにいつも言った。

「紫は高貴な色やからな。美智子さんのお母さんが、宮中に呼ばれたときに紫の着物を着て行って、帰されはったんやで」

 嘘か本当か確かめようがない、言い伝えのような噂を口にした。そう言いながらも、紫だったのである。

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