Fさんは「朝シャン最高」と朝からシャンパンを飲む人だった。サンタクロースのような風貌で、ある意味日本人らしくなかったので、まあ許せた。
「今日はなんかうまいもん食いたいな。ないのかな、ドイツだからなあ」
「あるんじゃないですか」
私はすでにこの街が大好きになっていて、反発した。そしてきっとおいしいものがあるはずだと思った。
異国の街で私はなぜか奇跡を見つける。そう、そんなことを西洋占星術の占い師に言われたことがあった。その時も、ふと、なんの気取りもないクラシカルなレストランの前で足が止まった。
「ここにしましょう」
「英語のメニューはあるかな」
突然入ってきた東洋人の男女に、店の人は無表情だった。しかしまだそんなに混んでもいなかったので、そんなに悪くない窓際の席に通され、メニューをもらった。英語版はなかった。
「何書いてあるかさっぱりわからんな。ここは無難にシュニッツエルだなあ」
Fさんはそう言い、白ワインと一緒に頼んだ。私はトリュフ、という文字を見つけた。トリュフ、ウォッカと書いてある。スパゲッティ、と書いてあるような気もする。
「私、これにします。白トリュフとウォッカのスパゲッティ、です、多分」
「チャレンジャーだなあ」
シュニッツェルよりやや値段は高かったが、3000円以下だったと思う。
運ばれてきたそれは、芳醇な白トリュフがどっさり載っており、ウォッカのアルコールの香りと相まって、周囲のテーブルの人たちもこちらを見るほどだった。フォークで混ぜると、さらに鼻腔にトリュフの芳香が突き抜けた。
「どう?」
Fさんの興味は完全に私の皿に注がれていた。私はひと口、ふた口と丸めたスパゲッティを口に運び、言葉にならない嘆息をこぼした。
「美味しいの」
「… 」
ただただ頷いた。そして半分ほど食べてから言った。
「最高です。これは二度とないと思う」
そして、Fさんにお裾分けした。Fさんは「ほんとだ、これはうまい。でもこれだけで酔っ払う」と、笑った。
先日上梓した『白トリュフとウォッカのスパゲッティ』(スター出版)のタイトルになっているメニューは、そういうわけで実在した。あとはフィクションであるが、その料理と味と感動だけは真実なのである。
しかし、もうベルリンに行っても、どの店だかわからないし、今もあるのかどうかもわからない。二度と食べられない味なのだった。
ベルリンでは、東西をドライブし、第二次世界大戦の爪痕も見た。
オラフさんはどうしても見せたいところがあると、私たちを軍事博物館へ連れて行った。市の中心部にあるユダヤ人の墓も見せた。
Fさんと私はこれはVERYには載せられないと思った。でも見ておかないといけない気がした。
「これも本当のベルリンなんです」
オラフさんはそう言った。ベルリンは、バウハウスが率いてきた現代アートに代表されるスタイリッシュな面だけでは語れない。哀しみや悔悟、あるいは戦争による傷を生傷のまま持ち続けようとするような国民性を私は感じた。
そしてそれを見るようにと仕向けてくれたオラフさんに、感謝した。
最終日は、ポツダムに行きましょうと提案された。オラフさんの高い鼻の左右の目が微笑んでいる。
私は恐る恐る聞いた。もう暗いところはちょっと嫌だな。
「ポツダム宣言の、あのポツダムですか」
「そうです。美しいところですよ。サンスーシのお城があります」
Fさんの顔を見た。Fさんは「行こう行こう」と乗り気だった。
ポツダムまでは、約1時間のドライブだという。オラフさんが運転してくれる最後のドライブだ。よし任せよう、と、Fさんと私は車に乗った。
市街地を離れると、あっという間に自然が増えていった。その頃から、ドイツは環境問題に力を入れていて、どこへ行っても美しかった。
環境問題や農業の規制などについても、話を聞いた。聞けば聞くほど、日本は脳天気な気がした。
私たちの国はいったいどこへ向かっているんだろうな。…
「さあ、つきましたよ」
サンスーシ宮殿は驚くほど美しかった。金色に縁取られたロココ調の宮殿の下はオレンジの段々畑だ。まるで腕を開くように横に開けていて、なんともお姫様趣味だ。
そこで私は、オラフさんにサンスーシ宮殿を作ったフリードリヒ2世の話を聞いた。
「彼はゲイだったんです。若い頃はここへボーイフレンドを呼んで楽しんでいた。。でも、歳をとって、誰も相手にしてくれなくなって、最後はイヌとお墓に入ったそうです」
「孤独な人生だったんですね」
その解説で、お姫様趣味な装飾も腑に落ちた。
「もっと可愛く。もっと素敵に作ってちょうだい」。
フリードリヒ2世の声がしたような気がした。
彼が夢見がちにこれを全て設計したときの胸の鼓動や、出来上がった時の潤んだ瞳まで想像できるような気がした。
そしてこんなに美しい場所で、最後はひとりぼっちだったというのは、なんと甘やかな悲しさだろう。
そう、彼は不幸ではなかったのだと思う。不幸ではないけれど、寂しかったとは思う。
こんな美しさと悲しみを同時に味わうのも、もう二度とないことかもしれない。
旅とはそういう一期一会の連続だ。それを味わうために、人は旅をするのだ。
胸がいっぱいになって宮殿を見ていると、オラフさんが誘ってくれた。
「森の公園があります。少し歩きませんか」
Fさんは、ニヤリと笑って「お2人でどうぞ」と言った。
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Photo by Ari Hatsuzawa
Hair&make Junko Kishi
Styling Hitomi Ito