土から生まれ、土に帰る死までを、短い時間に見せてくれるのが植物だろう。
幼稚園の年長組だったか、小学1年生だったか。秋に、初めて芋掘りへ行った時のことを憶えている。
京阪電車で「交野(かたの)」という駅まで行った。その年齢の子どもにとっては、まさに遠足だった。乗り物に弱い私は、若干、気持ちが悪くなっていた。
駅からさらに、芋畑まで歩いた。
空気が良かったのだろうか。見渡すばかり畑ばかりになる頃には、気分も良くなっていた。
芋の畝はそこここに並んで、強い茎から青あおした葉っぱが出ている。
土をさわる。初めてだった。その土は、公園の砂のようなサラサラした感触ではなく、しっとりとしていて、黒い。そして爪の間にも、指の関節のしわにもへばりつくような感じだった。
農家のおじさんが、芋を抜くのをやって見せてくれる。
「こうやって、引っ張りますよー」
おそらく、子どもでも引っ張れるように、少しもう先に引っ張ってあったように思う。茎を束ねて引っ張ると、ゴロゴロと蔓についたさつま芋が現れた。
「わああああ」
いくつも、いくつも、蔓についている。その嬉しさ。何か物凄い得をしたような、心の底が浮き立つような嬉しさがあった。それはデパートでリカちゃんの服を買ってもらう時とは違う、生まれる前から知っているような嬉しさだった。
誰かの引っ張った蔓がなかなか抜けず、先生と一緒に引っ張ったら、ものすごく大きな芋が出てきた。子どもの顔くらいあった。それもまた何か、他人事なのにえらく嬉しかった。
「すごいすごい」
私は感動した。土の中で、あんなに芋が育つなんて。
芋を持って帰ると、親も喜んでくれた。小さいのは蒸し器でふかして食べ、大きめのは天ぷらになった。
「なんや芋か」
夕食で、父親が言った。
「あやが芋掘り行ってきたんやで」
母が言うと、父はどこか嬉しそうだった。
「戦時中は食べ物がなくて、この蔓を食うたんや」
そう言った。
「芋を作ったん」
私が尋ねると、父は戦中戦後に祖父母と畑をした話をしてくれた。
「畑、したな。茄子やらきゅうりやら。菜っぱも作った。ようできた。できたら、そればっかり食うんや。いやっちゅうほど、そればっかりや」
そればっかりや、という時の父の顔が、嬉しそうだった。そればっかりでも、お腹いっぱい食べることができたからだろうか。
それとも。家族でクタクタになって土を耕した記憶は、父の中では楽しい部類の思い出であったのだろうか。