小仲正克社長対談
世界のものづくりの現場を訪ねてきた中原慎一郎さんがゲストのPart2。中原さんがコンランショップ・ジャパンの代表を引き受けた経緯とこれからのビジョン、またものづくりとそれを広める面白さについて語ってくださいます。
小仲 ランドスケーププロダクツの代表として、本当にいろんな仕事をされていてお忙しいと思うのですが、2022年にはコンランショップ・ジャパンの代表にも就任されました。
中原
そうですね。10代のとき、初めてロンドンで集合した場所がザ・コンランショップだったという出会いは最終的に決断するときには思い出しましたね。
コロナ禍の前にアメリカに会社を作って、アメリカでギャラリーを始めて、日本のアーティストや優れたクラフトを紹介する場所を作ったんですね。自分たちが取引をしているサンフランシスコの陶器メーカーの社屋がすごく大きなスペースだったんで、その中の一部を借りて。
調子よくやらせてもらっていたんですが、4年ぐらい経った時に、ちょうどコロナ禍になりました。とりあえず東京に帰ってきたんですが、その頃、ほとんどサンフランシスコにいて、日本から離れちゃっていた感じでしたが、とりあえず日本でいろいろ見直ししていたときに、コンランショップ・ジャパンの代表の話を頂いたんです。
小仲 どんなお気持ちでしたか。
中原
最初は驚きました。前のコンランショップ・ジャパンのオーナーは日本のカッシーナでした。その後、今のオーナーに変わり、そこからのオファーで僕は社長に就任しました。
ザ・コンランショップを立ち上げたテレンス・コンランについて、今、改めて見直しています。今年の10月にテレンス・コンラン展を東京ステーションギャラリー、その後、福岡でやるんですね。
自分もお店っていうことがすごい好きだった人間なんですが、テレンスはそのお店の天才だったなと思います。彼はプロダクトデザインでデザインを伝えていった人でもありますが、基本的にはやっぱりお店を通してデザインを普及させた人なんですよ。
ライフスタイルショップを初めてつくった人。日本中に今、ライフスタイルショップは数多ありますけれど、その創始者なんです。
とにかくお店上手。お店をすることが徹底して上手だったっていう人だろうなと思って。今、そういう視点で見てるんです。
小仲 コンラン氏自身とは、実際に会われたことはあるのですか。
中原 テレンス本人とは会ったことがありません。デザイン会社だけはファミリーが残しています。
小仲 日本に初めてザ・コンランショップができたのは新宿パークタワーでしたね。
中原 1994年ですね。
小仲
バブル経済が弾けた頃ですね。僕も初めて買ったマンションにあれこれ入れました。
今年のテレンス・コンラン展覧会は、個人的にもとても楽しみです。どういう視点で催されるのでしょう。
中原 テレンスがデザインどう広めたか、という視点です。「モダン・ブリテン」。イギリスをモダンにした男って言われていて。島全体をモダンにした人ということでやるんですけど、それが日本にも波及したという事実があります。イギリスで始まった「アーツアンドクラフト運動」が、日本で民藝運動となって普及したのと同じようにテレンスがイギリスで始めたお店を通したデザイン活動が日本で一番普及したということを、僕は言いたくて。
小仲 ではザ・コンランショップっていうのは、世界の中でもとりわけ日本人にうけたということですか。
中原
そうですね。特に日本に馴染んだのだと思います。日本でものすごく愛されたものの一つですね。
他のブランドでいうと、例えるともう日本の会社もできているマーガレット・ハウエルもそう。ビルケンシュトックも、本国ではただのサンダルだけど、
日本だとすごい売れていて、広がりました。何が日本人にこう響くのかなと思って。
そんななかでも、テレンス・コンランは、3つの言葉によるコンセプトを大事にしています。「PLAIN、SIMPLE、USEFUL」。 無駄なく、シンプルで、使い勝手がいい。そういうものが彼の中のザ・コンランショップのテーマであって、そういったこととかが、民藝と近いというか。そういうところが時代にうまくあったのかなと思います。それと、物選びの面白さという部分が、日本人にフィットしたっていうのもあるのかなと思うんですよね。だから、90年代に入ってきた時に、みんなわーっとショップに行っていたのかな。
小仲
僕はあんまり詳しくないんですけど、日本では禅的なもの、シンプリシティとか、そぎ落としていくミニマリズムみたいのがあって、それは北欧のそういったものとも近い部分っていうのがあったりすると思うんです。
北欧のミニマリズムとコンラン卿の世界というのは、近いんでしょうか。
中原
イギリスで初めて北欧の家具をすごく一生懸命扱い始めたのは、コンランだったらしいんです。
あと、勢いがあったイタリアのモダンなものをいち早く紹介したりした。
それはご存知の方もいると思いますが、Habitat(ハビタ)というショップでした。日本では百貨店が一時期やっていました。テレンスは、それを大成功させ、それでも満足できない部分もあったようで、その後にザ・コンランショップを始めています。
小仲 それもコンラン氏がやっていたんですか。
中原 最初に仕組みを作って、特にその時は、安いもので質のいいものを大量に見せるみたいなやり方だったようです。だんだんとそれが真似られるようになって、安売りのお店みたいなのを本人が嫌がって、良いものをちゃんと扱いたいと。モダンなものと組み合わせた良品を売りたい。それが、ザ・コンランショップになっていったというわけです。
小仲 なるほど。では最初はやはり北欧というのも原点としてあったんですか。
中原
多少は影響があったのではないでしょうか。もともと、本人もテキスタイルデザインを学んでいたので、そういう影響はあったと思います。1950年代は、テキスタイルデザインがすごく普及した時代でした。だから色からの発想もあったでしょう。
ただ面白いのは、テレンス本人はインテリアビジネスなのに飲食をやっていたんです。レストランで働いたりして。それで、コンランはフランスの食文化をイギリスに持ち込んでいるんですね。オープンキッチンのお店をイギリスで最初に作ったのも、テレンスだと言われています。
新しい生活スタイルの提案をしたところが、やっぱり彼はすごい。旅からいろんなインスピレーションを受け、その体験が影響したんですね。