《2》
二人はここで年に何回か飲む。いつからそうなったのか、たぶん10年前くらいのことだろう。
「信ちゃんはさ、なんで歌舞伎好きになったの」
ふと、梅さんは初めてそれを聞いた。信三は少しほろ酔いの頭で、そのことを思い出した。
「ばあさんだよ。父方の祖母が、粋な人でね。いつも勝鬨橋の水門が上がるのを僕に見せたあと、一幕だけ、連れてってくれるんだよ」
「大向こうかい」
「ああ、三階席だったね。昭和30年代前半だからねえ。ばあさんは七代目三津五郎が好きでね。3階席からね、掛け声をかけるんだよ」
「大和屋!って」
「いや、名前があって、最後になんともいいタイミングでね、た〜ぷっりぃ〜、って言うんだ」
「それ、それだよ!」
梅さんは半衿から首を伸ばすようにして、信三の方に向いた。
「それをねえ、もう言える人がいないんだよ」
「そういえば聞かないねえ。あれはどういう意味だったんだろう」
「う〜ん…うまく言い表せないね。でも、言ってほしいね。信ちゃん、今度、俺の舞台を観にきて、言ってよ」
梅さんはそう言って、いつのまにか目の前に現れたやっぱりいつもと同じのロックをくいっと飲むのだった。
信三は黙って、自分のグラスをくいっと傾けた。