《2》
「はい、還暦&快気祝い。ふたりで行ってきてよ。9月の連休がいいと思うわ。すすきがきれいなんですって」
33歳になる娘の梨沙子が旅行券をくれたのは2ヶ月ほど前の就寝前のことだった。宏之が脳の腫瘍を手術してまる2年が経っていた。腫瘍は幸い良性ではあったが、そのせいで、宏之は嗅覚を失っていた。
「何が悲しくて枯れすすきを観に行かなきゃならんのだ」
宏之は歌うように言った。娘の心遣いが心底うれしかったが、働きづめに働いてきて、今さら妻とふたりで旅行するということがこそばゆかった。
「またそんなこと言って。お父さんは、もう」
梨沙子はやれやれという顔で仏壇にぽんと旅行券の入った封筒を置くと、チンチン、と鈴を鳴らして手を合わせ、さっさと部屋に戻ってしまった。
絵津子はただただうれしかった。出版社で編集の仕事をしている梨沙子が嫁に行かないことをいつも憂えていたが、そんな心遣いのできるところを見ると、まんざら間違った躾をしてきたわけでもなさそうだ。
翌朝、コーヒーをひと口飲んであわてて出ていこうとする梨沙子を呼び止めると、絵津子は小声で言った。
「ありがとうね。お父さんの首根っこを引っ張ってでも行ってくるわ」
「4万本もすすきがあって、灯篭がつくんだって。きれいらしいよ…」
梨沙子は付け加えるように小声で言った。
「…それにさ、すすきは匂いはしないから」。