《3》
亜未は少し悩んで、アデルを少し高そうな焼き鳥屋へ連れていった。
昼間に見た状況からして、おそらく外資の大きな会社に勤めていそうだから、ごちそうしてくれるかもしれない。でもたまさかそうではなかったときのために、超高級でないほうがいいだろう。あまり日本に慣れていないようだし、箸を使わなくても食べられるものがいい。何よりも時間が時間だから、さっさと食べられるほうがいい。
店は厨房を真ん中にコの字型のカウンターになっており、ちょうどガラスの向こうに炭火がある場所に、二人は並んで座った。
六本木という場所側か、訳ありなカップルが3組ほど、等間隔にいた。みな黙ってビールを飲み、焼き鳥を食べている。
アデルはしばらく物珍しそうにキョロキョロしていたが、亜未に英語でこんなことを尋ねた。
「なぜ、日本人のカップルは喋らないの。なぜ黙っているの」
そんなことを聞かれても、何と答えたらいいのか、亜未は困ってやっと言った。
「話さなくても、お互いをわかっていたらいいの」
彼は驚いたように言った。
「愛は伝えないとわからないでしょう」
そのうち、彼は亜未の手をとって「君はとてもかわいい。演奏もとても素敵だった。君のことが好きだ」と、やおらその手に口づけようとした。
亜未は驚いて手を振り払った。
「はずかしいからやめて。みんなそんなことしていないでしょう」
アデルはがっかりしたように正面を向き、人差し指を唇に当てて言った。
「わかった。もう僕は君に触れない。好きだとも言わない。黙って、日本人のように君を好きでいるよ」
その様子がおかしくて、亜未は笑った。
そして、彼の左手の薬指に大きな分厚い銀色の指輪があるのを見た。
「あなたは結婚しているのね」
アデルは悪びれず「うん、来月には家族も日本にくるよ」と言った。
「でも妻は、僕の故郷が好きではない」
「どういうこと」
亜未は乗り出すように彼のほうを向いた。少し飲んだビールで頭がふわりと英語の回路を外れかけるのを、懸命に食い止めようと耳をすます。
「僕の故郷はチュニジア。とても美しいところだ。父親はもう亡くなって、母は一人で住んでいる。弟が近くにいる。僕は長い休暇の度に、母に会いにいく。一緒にサハラ砂漠に旅したこともある。でも妻は来ない。妻は都会的な人で、パリが大好きなんだ。彼女はチュニジアは埃っぽい、と嫌う」
チュニジア人なんだ、と亜未は日本語でつぶやいた。
さっき、仲間はずれにされていそうだった彼のことを思い出した。ひょっとしたら、そんなことで会社でも疎まれているのだとしたら。
そして、スマホの翻訳機能で「差別」という言葉を探すと「会社では差別されない?大丈夫?」と聞いた。
アデルはどきりとした顔をして、それから「I’m alright 」と二度繰り返して言った。
そして二度目を言い終わると、さっと亜未の頭を抱き寄せて、髪にキスをした。