《2》
『爆笑とまらん寄席』、通称『爆とま』の公録は、局の一番大きなスタジオに客を入れて行われていた。
麻子は右手に台本をまるめてもち、おなかの底から大きな声を出していた。
「はい、私が手を挙げたら、拍手の用意をしてください。こうやってグルグル手を回したら拍手〜。ゆっくり手を下げたら、止めてくださいね〜。はーい、皆さん、練習しましょう」
下手の最前列には、5人組のおばちゃんたちがいた。プロデューサーの中瀬はその脇でカメラの見えない位置におり、右手を胸のあたりでパッと開いて指示を出す。すると、おばちゃんたちは「どっかーん」と笑い、その楽しそうな笑顔がカメラに映し出される。
「あーっはっはっは」
絶妙の大きさ、高さのおばちゃんの笑い声につられるように客席が笑いに包まれる。芸人たちは、その客席の笑いで、自分たちの芸を承認され、次の笑いのリズムをつかんで話を盛り上げていく。つまり、会場の「笑い」の空気を司るのは、このおばちゃんたちなのだ。
芸人たちのしゃべりをじゃましないように「笑い」は絶妙のところで消え、また次のタイミングを待つ。
収録が終わるや否や、中瀬は低い腰をいっそう低くして拍手をしながら、まずおばちゃんたちをねぎらった。
「いや~。今日もいい笑いをありがとうございました。かす子さん、次回もまたよろしゅうお願いいたします」
「また2週間後やね。5人でよろしいの」
「ちょっと増やそうかなあ」
「早めに言うてくださいね。なかなかみんな忙しいてね。新喜劇の中継と重なったら取り合いなるし」
「わかりました。また連絡させてもらいます。…あ、紹介させてください。新しく入ったフロアディレクターの橘さん…」
中瀬が言い終わらないうちに、かす子と呼ばれたおばちゃんの目が輝いた。
「あっ、知ってる。見たことある。アナウンサーしてはった人やろ。朝の番組でしゃべってはった。ディレクターなったはるのん。えらならはったんや。… 私、山田かす子。カス、ちゃうよ、酒粕の粕の意味らしいのん。笑い屋です、笑い屋のかす子。よろしゅうに」
「笑い屋…」
麻子があっけにとられていると、中瀬が説明した。
「かす子さんが、上手に笑うご婦人を集めてくれてはるんや。会場の笑いをリードする、大事な役割の人たちなんやで。橘さんも仲ようさせてもらい」
「あ、よろしくお願いいたします」
麻子が丁寧に頭を下げると、かす子はうんうん、とうなずいて藤色のツバの小さい帽子を整えた。ムーミンのような顔立ちは白く塗りあげられていて、薄紫の色が入ったメタルフレームのメガネをかけている。半袖の青い花柄のスーツは、女性代議士のような妙な貫禄があった。
「麻子さん、こちらこそよろしゅうおたのもうします。よかったら、いっぺん、お茶でも飲みに遊びに来てください」
かす子はそう言うと「笑い屋・かす子」と書かれた名刺を麻子に差し出した。住所と携帯電話の番号が書いてあった。なんで笑い屋さんの家にいきなり遊びに行かなければならないのだろう、と麻子は思った。しかし中瀬はハイテンションで言った。
「そや。いっぺん、この世界のことを聞いてきたらええわ。橘さん、勉強させてもらい」
「あ… ありがとうございます」
「勉強てそんなおおげさな。…あっはっはっはー」
かす子の天井まで届くような高い笑い声が終演後のスタジオに響き渡った。
どうやったらあんなふうに笑えるんだろう、と麻子は冷めた心で思った。