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    第12回『李氏の庭』

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 その晩、結花は夫の克人と過去最大のけんかをした。
 結花が克人に李先生のところへ一緒に行こうと言ったことが、火種になった。

「オレのせいじゃないよ」

「だってこの頃ちっとも」

「最初の頃はあったけど、できなかったじゃないか」

「できないようにしてたんじゃないの」

「…とにかく、オレは行かないから」

 結花は考えたが、1週間後、一人で李クリニックを訪ねることにした。
 意外にも歩いて2〜3分の場所に、そこはあった。近隣をいつも歩いているはずなのに、まったく気づかなかった。それもそのはず、そこは大きな木々に囲まれた、古い邸宅だったのである。
 まるで子どもの頃に読んだ『秘密の花園』のコリンの家のように。
 おそらく、結花の実家よりも古そうな門を開けると、東側にだけ蔦が張った白い壁の洋館がそびえていた。
 表札くらいの大きさの看板に「李クリニック」と書いてはあったが、反対側の扉には、本物の朽ちた表札もあった。
 重い木の扉を開けると、大理石の敷かれたロビーがあり、深緑のびろうどを張ったソファーがあって、待合室になっていた。正面には小窓のついたカウンターがあり、そこが開くと、茶髪で化粧の濃い若い看護師が顔を出した。

「電話した及川です」

「しばらくお待ちください」

 結花はカチカチカチという大きな柱時計が刻む音を聴きながら、ソファに座っていた。
 静か、は怖いときがある。

「どうぞお入りください」

 広い診察室には、昔のアラジンのストーブの上に、銅のやかんが載っていた。
 ちんちんと、湯気が上がっている。
 その奥には庭があった。
 庭を背に、絵のように静止した老医が座っていた。

「先生、及川さんです」

 老医は微動だにしなかった。頭は薄い髪が真っ白で、眉も真っ白だった。痩せた顔の鉤鼻に、丸い金縁のメガネがのっていた。

 さっきの看護師が現れた。派手なネイルをしていて、どう見ても20歳そこそこだった。

「内診台へお願いします。ご準備ができましたらお声がけください」

 老医がそこへ入ってきたことも、何をしたのかも一瞬のことだった。
 風が吹いただけのようだった。

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