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    第13回『びおら』

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「おかえり。バス、疲れたやろ」

 出迎えた母親は、家の中でもマスクをしていた。私が他所から帰ってくるからか、と、純子は一瞬、憮然とした。

「ただいま」

 そう言って、自分はマスクを取った。そのマスクをテーブルに置こうとすると、母親はマスクケースなるものを差し出して「ここに入れて」と言った。

「大丈夫やって」

 純子はため息をついた。

「お父さんは」

「部屋でパソコンしてる。リモートやん」
「へえ」

「あんたの仕事はそういうわけにはいかんもんな」

「うん」

「まあしばらく休んだらええやん」

「近所で、ケーキ屋とかパン屋とかないかな。雇ってくれへんやろか」

 帰るなり、大阪弁になる自分がすごい、と純子は思った。そして無意識のように働き口を探していた自分にも驚いた。
 もっと驚いたのは母親だった。

「一流ホテルで働いてた人がこんな大阪の下町のケーキ屋で、かいな」

 そう言って、首を振った。

 純子は「ちょっと散歩してくる」と、またコートを着た。あてはなかったが、街のケーキ屋がどうなっているのか、気になって仕方がなかった。

 一番近いケーキ屋は、純子が子どもの頃からやっている「びおら」という店だった。
 主の夫婦は自分の両親と同じくらいの年齢だろう。
 シャッターが降りていて、黒マジックで書いた張り紙があった。

「店主、体調不良につき、しばらく休業します。コロナではありません」

 コロナではありません、と書き添えないと、人が来なくなってしまうのだろうか。純子は押しつぶされそうな気持ちになりながら、しばらくそれを見つめていた。
 と、声をかける人がいた。

「上野さんとこのお嬢さんちゃう」

 その店の奥さんだった。若い頃の彼女の顔の面影があったけれど、髪はすっかり白くなり、目のあたりが窪んで、ぱちっとした目が小さくなっていた。

「そうですけど。あの、ここの奥さんですよね」

「聞いたよ〜。なんや軽井沢の有名なホテルでパティシエさんしてはるんやろ。お休みとって帰ってきはったん?」

「いえあの、コロナで、ホテルが閉まってしもうて」

「あ。ごめん」

 びおらの奥さんは悪いことを聞いてしもうた、という顔をしたが、意を決したように言った。

「うちのお父ちゃん、もうあかんねん。匂いせえへん、味もわからんて言うねん」

 やっぱり流行病か、と、純子は俯いた。
 奥さんは恐る恐る、その顔を覗き込んだ。

「あんた、代わりにケーキ焼いてくれへん…かなあ」

「え。いいんですか」

 純子は顔をあげ、大きく目を見開いた。

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