2004年5月、千倉さんが大好きだったお父様が亡くなられたのです。
千倉さんはパリから帰国しました。
「年始までは元気だったのですが、未分化ガンという、急性のガンでした。余命数ヶ月とのことでしたので、壮絶な闘病は避け、ドクターたちがありうる限りの緩和ケアをしてくださいました。だから、父は一度も痛いと言わず、亡くなったのです。私は父の最期の日々と、30代の若い緩和ケアのドクターのお話を合わせて、小冊子を作り社葬の時にお配りしました。」
千倉さんのおじいさまが創設された千倉書房は、学術書の出版社。大学のテキストなどを主に作っておられたようです。お父様の後を千倉さんの弟さんが継ぐことになり、千倉さんは取締役に。しかしお父様の「みんなで千倉家を守っていきなさい」という遺言が、まず千倉さんにその小冊子を作らせたのかもしれません。
「その直後、長いお付き合いのある神戸大学の経営学部で『マーケティングを絵本で伝えたい』という教授がいらっしゃって、それをプロデュースすることになりました。20代の頃、インタビューをして記事を書く仕事もしたことがあったので、その時の編集者の友人に連絡して、手伝ってもらいました。イラストがたくさん入っているマーケティングの絵本はかなり話題になりました。知り合いの出版社に送ると、雑誌で取り上げられてもらえたり。その手応えがとても楽しかったんです」
絵本作りの楽しさを知った千倉さんは、1年に3〜4回、夫のいるパリで滞在するうちに、パリの本屋さんでとても惹かれる絵本を見つけました。
『Moi, J'attends 』。日本語に翻訳すると『待ってる』。
シンプルな線描きのイラストで描かれるのは、主人公の一生。
子どもの頃の彼は、お母さんのケーキが焼けるのを待ってる。
やがて青春時代、恋人にプロポーズをして、返事を待ってる。
結婚し、子どもが生まれるのを待ってる。
奥さんが先に亡くなってしまい、1人で寂しいけれど、今度は孫が生まれるのを待ってる。…
しみじみとその時間と空間を想像させてくれるただ「待ってる」という言葉。
千倉さんは、その絵本を出しているパリの出版社に自ら出向きました。
「出版社の人は『日本でどれくらい売れる自信があるの』と私に聞きました。『そんなの分かりません』。最低部数を確約して欲しかったんでしょうけど、本当にわからないじゃないですか。それで話にならないと、その時は断られました。でも数ヶ月して『日本で出すはずだった出版社がNGになったから、そちらでやるならどうぞ、と。それからもう、どうしたら売れるだろうかと考えました。まず力のある人に翻訳をしてもらうことだと」。