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    第119回:かの香織さん(音楽家、創業1757年日本酒醸造元12代目)

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《2》私で12代目。窮地にあった酒蔵を継ぐ

 80年代後半から90年代へ。世の中がバブル経済になり、ワイン・ブームというものもやってきた頃。かのさんはよく訪れていたパリで、それを実感していました。

「現地ではさまざまな人が集まるパーティーが夜な夜な行われていました。そこにはミュージシャンももちろんたくさんいましたが、そのなかにワイナリーを持っているミュージシャンが結構いたのです。ワインの醸造家も来ていました。朝になると、シャンパンとチーズを、またギターを弾きながら楽しんで。そのときに、そういえば、うちの酒蔵の家族も、朝は一本締めだったり、一杯儀礼的にお神酒を捧げ、そしてお浄めに飲むことから始めていたな、なんて思い出して。実家にいるときは古臭い世界が格好悪いと思っていたのに、農業〜醸造〜音楽という循環に気づいたら入っていたというか…(笑)」

 あるとき、ZIP-FMからこんなプレゼントも。

「フランシス・コッポラの娘、ソフィア・コッポラさんから来日時、自らのブルワリー生まれの門外不出と噂されていた手描きのエチケットのワインをいただいたのです。お父様ご本人がパーティー用に使うものだったらしくて。自分でワイナリーをもっているって、いいなあ、と思いました」

 そんなことが積み重なり、とうとう、かのさんが酒造りを決意する日がやってくるのです。
 その前に、ご実家は1978年の宮城県沖地震の時、蔵が倒壊するという憂き目に遭っていました。

「そのときは、国からの復興支援というものもなく、岩手から来てくださっていた杜氏、蔵人の方にも帰っていただくしかなく。他の酒蔵の支援、応援があり自らの酒質設計をした日本酒をそのお蔵をお借りして造り、なんとか醸造する意思を示していましたが、2002年に、いよいよ醸造免許を国に返納すると親が言い出したのです。そのときの苦渋に満ちた哀しい表情を見て、私は思わず、やってみる、と言ってしまいました。私は酒蔵で育ったこの魂、音楽家としての感性を、そして12代目としての日本文化へのリスペクト。当時、日本酒業界は危機感を感じる混沌とした時代でもありましたのでなにか微力ながら新しい世界のともしびみたいにもなれたらと」

 一から職人さん達に教えてもらう日々が始まりました。

「わからないことだらけですから、醸造法だけでなく、道具の洗い物からなんでも始めて。自分で学べることなんてしれているのですが。でも本当に皆さん、優しくて、分かち合いの精神。涙が出ました。311の時のもそうでしたが、日本酒の世界では何か始める、困っているというと、自然にその人を支える、というのが根付いている気がします。現場の人たちが普通にやられているのでその素晴らしい精神、習慣に気づいておられないかもしれませんが、なんともお互いに支え合う、いたわり合う、だからこそ時には厳しくもあり、過酷にたえなければならない研ぎ澄まされた美しい世界と感じます。だからこそ酒を造るもの同志は運命共同体だという感覚は確かにあるかもしれません」

かの香織さん

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