かのさんは、酒づくりは音楽づくりと似ている、とわかり始めました。
「お酒をつくるのと、音楽をつくるのは酷似しているんです。まず礼に始まって礼に終わる。音楽は楽譜通りに完璧につくっても、音楽の神様が降りてきてない、ということがある。お酒も、数字通りに配合しているのに、原因不明に美味しくない、ということがある。オーケストラでもバンドでもそうなんですが、チッキリ綺麗すぎるとダメで、誰かが感情を込めすぎていてズレていたりするのに、そこから生き物というか渦潮のように音楽が呼吸のようなうねり、グルーヴが突如生まれてきたりするということがあるんです。それがコンピューター上で、複雑なバイブレーションを作っていることがわかったりする。それが心にグサリと刺さったり。偶然と奇跡の訪れ。そういうものが、お酒をつくる過程にもあるのです」
そのバイブレーションはなぜ起きるのか。かのさんはこんなふうに考えています。
「音楽ならスタジオ、酒なら蔵に入る前に、そのつくり手が家族と何を喋り、どんな感情を共有したか。そういう、コンピューターには入らない人生の一部が影響するのだと思います。それがアナログな世界の面白さ。そして、酒の樽の中には、また私たちが叶わない天文学的な数ほどの生き物に響いていきます。ですので できるだけシンプルにハッピーなことを語りかけたりして。最後に口にする人にもそれは繋がっていく気がします。飲んだ瞬間にふわっとなんて幸せなんだろう、って感じてくれればと。」
音楽にも、聴取者に届く前に、様々な人々のやりとりがあります。
「つくることから、発売までのプロセスにいろんなスタッフがいて、やりとりがあって、伝えたいという気持ちが共有されていく。私はビッグ・ビジネスよりも、ディテールにこだわる職人気質の人間なので、本当にそこはさらに酒造りと似ていたのかもしれません」。
今、かのさんの手になるお酒は「はさまや酒造店」のブランド名で、知る人ぞ知る美酒として評判になっています。
「今、敷地に小さな小屋を作って、小さなクラフト蔵をつくろうとしています。ある醸造家がご家族と一緒に来てくれていて、まずは日本酒ベースのリキュールからスタートしました。地元のりんご農家から、わずかな傷で出荷できないりんごをなんとかできないかと考えて。フードロスの解消にもなればと。ただもうちょっと増やさないと採算が取れないので、これからですね」
少しテイスティングをさせていただきました。りんごのリキュールはアルコール度数3%ということもあり、まるで濃厚なりんごジュースのよう。甘い香りで、食前酒にも食後酒にも良さそうです。
お酒の醸造には、香りがいつも漂っているようです。
「最初は酒母から始まります。それを大きなタンクに入れて、もろみの発酵が始まるのです。酒母づくりは酒の肝。酒母室は、赤ちゃんの保育器のようなもの。そして、酒母の香りはそれはそれは良い香りです。酵母の種類、他にもいろいろな条件によって香りが変わってくるのだと思いますが、完熟メロンやバナナのようなフレッシュで果実あふれる甘い香りがするのです。これから何かが起こるような、パワフルさも感じさせてくれます」
酒母室の次は、もろみのタンクの部屋へ。
「そこではまた、ワクワクするような香りになりますよ」
今は、酒蔵によってはフルーツ酵母や花酵母を使うところも増えてきたので、多種多様な香りの日本酒が生まれてきていてなんとも種類が豊か、選ぶのも楽しい世界になってきました。
「お酒も好き。お酒を造る人も好き。今は造り手の苦労がわかるので、噛み締めるように丁寧に飲みますね」
おそらくかのさんがつくるものは、まだお酒には止まらないかもしれません。これからもかのさんが漂わせる時代の香りのようなものに、鼻をきかせなくてはなりません。
はさまや酒造店ホームページ
https://hasamaya.stores.jp/
取材・文 森 綾
フレグラボ編集長。雑誌、新聞、webと媒体を問わず、またインタビュー歴2200人以上、コラム、エッセイ、小説とジャンルを問わずに書く。
近刊は短編小説集『白トリュフとウォッカのスパゲッティ』(スター出版)。小説には映画『音楽人』の原作となった『音楽人1988』など。
エッセイは『一流の女が私だけに教えてくれたこと』(マガジンハウス)など多数。
http://moriaya.jp
https://www.facebook.com/aya.mori1
撮影 初沢亜利(はつざわ・あり)
1973年フランス・パリ生まれ。上智大学文学部社会学科卒。第13期写真ワークショップ・コルプス修了。イイノ広尾スタジオを経て写真家として活動を始める。
東川賞新人作家賞受賞、日本写真協会新人賞受賞、さがみはら賞新人奨励賞受賞。写真集に『Baghdad2003』(碧天舎)、『隣人。38度線の北』『隣人、それから。38度線の北』(徳間書店)、『True Feelings』(三栄書房)、『沖縄のことを教えてください』(赤々舎)。
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