レミオロメンでデビューしたのは2003年。2012年に活動休止、そして藤巻亮太さんはソロとして再始動しました。
「10年経ったんですね。びっくりだなあ。ソロになって当初は、勝手が違いますから、手探りが多かったですね。普通、どんな仕事でも20代は下積みが多いと思うんです。でもおかげさまでデビューと同時にブレイクさせてもらったので、下積みがなかったんです。もうわき目もふらず、駆け抜けて、それだけで必死でした。音楽活動をしている実感というのは、ソロになってからのほうがあります。仕事を任されるというか、より音楽で生活をしていることが感じられます」
たとえば『RYOTA FUJIMAKI Acoustic Recordings 2000-2010』というアルバムに、ソロになった藤巻さんの素敵さが。
「バンドアレンジで完成したものの良さもありますけれど、弾き語りで削ぎ落とした時にある良さもありますよね。あのアルバムは曲のエッセンスに向き合い直すみたいなところがありました」
バンドの時代から、ほとんどの楽曲が藤巻さんの作詞作曲によるものです。
「詞は基本的に僕が書いていましたが、一番悩みます。20代はスピードも要求されて瞬発的に描いたものが多かった。それはそれで良かったんですけど。自然にスッと感覚的に出てくるものの良さもありますから。ただ、今は音楽と音楽活動の違いを考えることが多くて、社会的な役割とか、ファンとの関わりとかで、歌詞を考えることも多い。でもそちらに引っ張られすぎてもダメなんです。たとえば、20代は夢中な恋の歌を書いていても自然です。30〜40代ではその感覚も年相応になってくる。その感覚のまま書いていいのかなと思ったこともあります。でも、今はその年代で自然に出会えるものを書いていくしかないのかなと。歌詞を通して、僕はどうありたいのか、どこに理想をもつのか。そんなことを考えながらやっています。正直にいうと、30代でソロになった頃が、一番悩みが深かったんです。なにを歌ったらいいのかと」
長らく楽曲とともに生き、歌ってきた人の真摯な言葉です。
「20代、バンドのために書く、という思いは強く、それが自分が歌を作るモチベーションにもなっていました。ソロになった時に、その一方にあった吐き出したい自分を1枚目に込めて、それで一旦、真っ白になってしまったんです。なんのために音楽をやっているんだろうと。今は、そういうことを客観的に見て、歌を作らせてもらっているという環境があることを認識できるようになりました。アーティストとしての自分だけでなく、社会の一員としての自分もいて、社会との接点で揺れ動いたり、摩擦があったり、そこでしっかり感じる部分を大事にすれば、また歌ができるんだな、と。結局『自分ってなんなんだろう』にとどまっていると、なにもできなくて、その先に進んで行かないといけないんです」。