「パクチーボーイ」の異名でSNSの人気者に。そしてアジア料理、スープなど20冊ものレシピ本を出す料理研究家へと進化したエダジュンさん。親類の小さな喫茶店に憧れた少年は、料理の道へ。着実に踏みしめてきたその過程には、いつもひと匙のやさしさがあったようです。
私がエダジュンさんの料理を初めていただいたのは、2017年ごろ、デニオ総研というストウブ鍋のマーケティングをやっている会社で開かれたオフィス・パーティーでのこと。
彼は水牛のモッツァレラチーズ、ブファッラとマスカット、パクチーを合わせ、そこに蜂蜜をかけたものをあっという間に作ってくれたのです。ブッファッラは真ん中が生クリーム状になっているので、まるでお菓子のようなみんなが手を伸ばす前菜でした。
当時は「パクチーボーイ」としてInstagramで話題になりつつあったエダさん。
「2013年に料理研究家を名乗ってデビューしたのですが、1年間は誰もが料理を作れるようにと、簡単が売りのレシピを提案していていて、なかなか仕事も来なくて。その時は本当にいろいろ考えました」
28歳で独立する前は、スープストック東京で有名な株式会社スマイルの社員だったエダさんは、店長なども経験し、商品をメインにする部署にも籍を置いていました。
「スープストック東京が大人気になったのは、スープに特化していたからだな、と思ったんです。
何か一つに絞り込んだ方がいいんだなと。それで、一つの食材に特化して発信しようと思いました。僕はアジアご飯が好きだから、その時思いついたのはパクチーとこぶみかんの葉でした」
でも、こぶみかんの葉は、入手することもそう簡単ではありません。
「こぶみかんはニッチすぎる。じゃあ、好き嫌いははっきり分かれるけれど、毎日でも食べられるパクチーがいいと思ったんです」
そこから、エダジュン=パクチーのイメージづくりが始まりました。
「それまでは簡単ごはんのブログを書いていたのですが、Instagramにスィッチしました。そして、#パクチー、#パクチー大好きをつけている人にいいねしに行ったり、自分のことを『パクチーボーイのエダジュンです』と名乗っていったのです。人間って、人の名前を割と憶えないじゃないですか。僕自身もそうなんだけど。でも、パクチーボーイです、と言ったら憶えてもらいやすかったのです」
ちょうどその頃、巷でもパクチーはちょっとしたブームになっていました。
「パクチーブームが来たのは、運が良かった。メディアにも呼んでもらえるようになり、レシピ本の出版も決まりました!」。