中村さんは、父親が邦楽の作曲家という家に生まれました。しかし、そのことが自らも音楽を選ぶことになった理由ではないと言います。
「そのことは直接的に影響はなかったですよ。琴の爪をはめられて、子ども心に痛いなあと思ったことはあります。琴、尺八の音がする家に住んでいたので、間接的に音は耳に入っていましたね。親父は僕に西洋音楽をやって欲しかったのではないかとは思います」
ピアノは4歳から始めたそう。
「最初から譜面通りに弾くのは嫌でした。高校時代に、親父のカセットテープにビル・エヴァンスやオスカー・ピーターソンがあって、それを聴いたのがジャズの入り口になりました。その和声、ハーモニはどうなっているんだろうと。その頃はクラシックのなかでも、和声の複雑なものが好きだったので。ベートーベンやモーツァルトの良さを知ったのはだいぶ大人になってからでしたね」
独学で、耳からジャズを始めた中村さんがプロになったのは大学時代。
「関西にある某音楽大学の作曲科に入ったのですが、当時、学生時代からプロのフィールドで活躍していた人たちがいて、頼まれて出演しているうちに、仕事が増えていきました。そういうパターンの先輩で留年している人もいたけど、私立の音大って、年間100数十万かかるんですよ。でも結局、音楽は卒業しているかどうかは関係ないから」
大学を辞め、プロのピアニストとしての道が本格的になりました。
「それが良かったとか、楽しかったかどうかということじゃない。ピアノで生きていけて羨ましいと言われたら違和感があります。特別なことじゃなくて、生きることのなかにあるとても自然なものなんです」。
ジャズ・ピアニストとして30数年。中村さんは11月にソロ・アルバムを2作品、同時リリースします。タイトルは『さんにんひとり』。
「ライブ盤では出していますが、ソロ・ピアノでスタジオで作ったのは15〜6年ぶり。12年ほど前にトリオでアルバムを録ってくれたアメリカ人エンジニア、Todd Garfinkleがたまたま来日していて。そのトリオのアルバムは今までの中で一番気に入っていたのです。調律師からオファーがあって、最初は4台のピアノでやってみないかと。結局、FAZIOLI、NYスタインウェイ、ベヒシュタインの3台でレコーディングしました。12年ほど前にトリオで録ったアルバム『エーデルワイス』をマスタリングし直して、2枚組としてリリースします」
先だってのショパン・コンクールで入賞者が好んで使ったFAZIOLIですが、中村さんの12年前の『エーデルワイス』はこのピアノで録音されたものでした。
「聞き手の興味を引くというのもありますが、それぞれの楽器はイマジネーションを触発してくれるものでもありますから。11月19日に新大阪・ムラマツリサイタルホールでソロのコンサートを開催しますが、ここではスタインウェイと、ブリュートナーというピアノを弾きます。普通のピアノは一つの鍵盤に対して、弦が3本繋がっているのですが、ブリュートナーは4本繋がっています。どういう残響があるか、僕自身も弾き慣れていないのでよくわからない。そんなことも楽しみながら、ぜひ聴いていただきたいですね」。