担当ディレクターが和田さん所属のプロダクションに電話し「垣花を和田さんに謝らせたい」と繋いでくれたのでした。
「特番から1週間ほど経っていました。アッコさんはちょうど『真夏の夜の23時』という曲を出された頃で、エレベーター脇にサングラスかけてタバコを吸っているアッコさんの等身大パネルが置いてあったんです。乗ろうとしたらそれが倒れてきて……(苦笑)。プロダクション内にボイストレーニング用の部屋があって、コンサート前なのでアッコさんはそこでトレーニングされていたんです。それで、肩を丸めて待っていたら、たまたまご機嫌よく汗だくで出てこられた。僕を見ると『また来たんか』と。ディレクターが『謝らせようと思いまして』と言ってくれたのですが『2度とこういうことをせんように。引きずらんでええ』と、優しい言い方だけれど、もう姿を見せるなと言われているような気がしました」
しかしそのディレクターは、その後も定期的に、垣花さんを和田さんのところへ連れて行ったのです。
「でもその事件で、あるアナウンサーは『ちっ、垣花、美味しいな』と言ったんですね。とにかくそんなことがあったら憶えてもらえるし、たまさか許してもらえるパターンになったら、絆ができる。そういう直感をもてるのがアナウンサーなのかもしれません。まさに僕はその後、2001年から『ゴッドアフタヌーン アッコのいいかげんに1000回』の3代目アシスタントをすることになったわけですから。じゃまにならずにいさせてもらう感じで」
そういうエピソードの一つ一つが、今の垣花さんのキャラクターを作っていったのでしょう。
「年上の人とは接しやすいんです。教えてもらうことも多いですし。そういえば仕事でご一緒するのは強い女性ばかりですね」
おそらくそんな強い女性たちも、垣花さんとは話をしやすいのでしょう。それは彼の心根に、人生の先輩を人としてリスペクトする気持ちがあるからではないでしょうか。
「入社1年めに『オールナイトニッポン』をやらせてもらっているんです。リスナーにとっては『何者なんだ』って感じだったでしょうね。放送作家も入れず、1人喋り。プロデューサーには『君がダメなのはわかっている。でもダメなところを出して可愛がってもらえばいい』と言われたんです。でも喋れなかったし、面白くなかったと思います。僕は誰かにいじってもらう、返しの力でしか生き残れないと思いました。その後、テリー伊藤さんにいじってもらったり、井出コウジさんと組んで、井出さんが僕が飛び道具になったり(笑)」
でも今や、進行もいじられ役もどちらもできる垣花さんになったのです。