神田瀧夢さんは生まれも育ちも大阪。10代からモデル事務所にも所属していましたが、大学も卒業しています。
「英知大学という大学を受けて合格したんですが、成績が良かったらしく、奨学金をもらえました。卒業する前に学長に呼び出され『就職はどこへ行きたい?学長推薦してあげるよ』と言われました。学長推薦って、本当にけっこう行きたい有名企業に行けるらしいんです。でも、僕は言いました。『東京行って、役者になります』って。学長は『役者あ??』って声が裏返ってた。本当に日米合作の映画『TOKYO-POP』のオーディションに合格して、デビューが決まっていたんです」
『TOKYO-POP』は、1988年公開作品。キャリー・ハミルトン主演。ロックシンガーを夢見てアメリカからやってきた女の子が、東京でバンドをやっている男の子と出会う物語。この男の子をダイヤモンド☆ユカイが演じていて、神田さんはクラブのマネージャー役。あのX-JAPANもカメオ出演していて、いまだに熱狂的なファンがいるという作品です。
「このスタートは大きかったです。いまだにダイヤモンド☆ユカイさんとは仲良し。8月にロスで『TOKYO-POP』の35周年イベントをやるんですよ」
どうやら飛び込む場所のスケールがいつも大きいのが神田さんの特長。実は筆者は、大阪でモデルやタレントをしていた時代の彼と同じナレーションのレッスンに通っていたことがあります。
当時から一際目立つ存在でしたし、どこかそこには収まりきらない印象がありました。
「他人の話を聞くな、自分の魂の声を聞け、って感じでしたね。それまでの常識とか、こうあるべきとか言ってくる人たちが言うことは夢の足を引っ張る。僕はこんな夢がある、と言ったときに『やめとけ、やめとけ』っていうのは、たとえ親でも友人でも間違ってる。本当に僕のことを思ってくれていたら応援すると思うんです。それは日本人的なことなのかもしれない。アメリカ人は『がんばれ』と言ってくれますよ」
そんな彼のチャレンジ続きの人生は『サムライスピリット』(幻冬舎)という著書に詳しく書かれていますが、端的にwowowのリポーターとしてアカデミー賞のレッドカーペットに挑んだところにも強く表れています。
「ハリウッド俳優たちは、海外レポーターのかけ声には足を止めないんです。だから、ここでの僕の仕事は、足を止めさせることだと思った。パブリシストと呼ばれるおばさんに『ジョージ・クルーニーと話したい』とか仲介を頼んでも無視。僕はジョージ!とか友達のように声をかけた。そこでは一瞬だから作品のことを聞いてもきっと答えてくれない。だから男性には『どうしてそんなにイケメンなんだよ』とか、モニークにはもう『I love you!』というとか、どんどん声をかけた。そうしたら、みんな笑って会話をしてくれました。映画ファンの視聴者には不評でしたが(苦笑)」
彼が『I Survived A Japanese Game Show』でオープニングにコールする「MAJIDE!」のポーズをすると大合唱が起こりました。
全米のたくさんの人たちが、彼に注目していたのです。
アメリカの厳しいエンタテインメント業界。もちろん、チャレンジ精神だけでは生き残ってはいけません。常に学んだり、トレーニングを受けたり、人脈を作ったりと、やることはたくさんあるのです。
なかでも現場で自分の力を最大限発揮するのに役立ったのは「インプロビゼーション」のトレーニングだったと神田さんは言います。
「UPSの奈良橋陽子さんが、オーストラリアからリン・ピアスというインプロビゼーションの達人を招いたんです。これはオーストラリアでシアタースポーツという5人1組で即興演技対決をするチームをやっていた人で。僕はその日本初のインプロビゼーション・チームのオリジナルメンバーにならせてもらったんです。台本のない芝居をするんです。客席の人と何か会話をして、エピソードをもらい、それを芝居にするというような。カナダ大使館でやった時のMCが小堺一機さんだったんですが、小堺さんもその後、トレーニングにこられたりしていました。それくらい、本当にこれはやっておいてよかったことでした。奈良橋さんには本当に感謝しています」
神田さんは今までの経験を、今度は後輩に教えることもしています。
「『スターゲートプレゼンテーション』というのをzoomでやっています。俳優だけではなく、一般の方々へも向けて、どうやったら良いプレゼンテーションができるかというのが目的です。こんな例がありました。ちょっと吃音気味の人が来たんです。家族とは普通に喋れるけれど、緊張すると、出る。で、紙に書いてもらったら普通に読めた。あれ、これは絶対治るなと思って。それで、本当に普通に喋れるようになったんですよ。最終的に『世の中の恵まれない子どものために施設を作りたい。だから僕はハリウッドで稼ぎたい』というプレゼンテーションをしてくれた。そういう深い思いまで導き出せたと思うと、本当に嬉しかったです。それはその人の魂の言葉でしょう」
このインタビューの撮影中も、若い人からかかってくる電話に丁寧に応じていた神田さん。
「僕自身、体を壊したり、鬱になったり。いろんな人のセッションを受けたんです。そのなかで、あるスピリチュアル・トレーナーに教えてもらった『フューチャー・デザイン』も、きっと悩んでいる人に役立つと思います。これは、毎日欠かさず、なるべく感情もこめて、現実的なビジョンを心に描く、というものです。僕の夢はオスカーだから、その受賞の瞬間を思い描くことにしているんですよ! プレゼンテーターは、エマ・ストーン!」。