ご自身のエッセイ『必死のパッチ』のなかで、その言葉「必死のパッチ」の意味を、こう解説されています。
「大阪弁で言うところの”必死のさらに上”で、”必死”と”死に物狂い”を足して、さらに”がむしゃら”をかけたようなものだ。言葉では説明できないぐらいの頑張り具合を表現するときに使う。それは、額に汗して”がんばりました!”って相手に言うのは照れくさいし、がんばった自分をアピールしているみたいでいやらしいから、ちょっと茶化して”必死のパッチでやりました”という一種の照れ隠しでもあるのだ」
想像を絶する辛い状況を乗り越えてきた人の言う「必死のパッチ」はどこか含羞があるのです。
雀々さんにはそんな少年時代の思い出の香りがありました。
「下町の夕方、どこかの家の台所から流れてくるお母ちゃんの作るカレーの香りですね。食べたいなあ、って思うでしょう。カレーって、シャバシャバやったり、どろっとしてたり、その家のカレーがありますもんね」
ひとりぼっちだった雀々さんは、そのカレーの香りに、家族揃ってそれを食べた頃のことを思い出していたのでしょう。
「秋口になって、群青色が夕焼けのオレンジに混じり合った夕空になるでしょう。『誰々ちゃん、はよ帰ってきいや』と言われて、友達が帰っていく。あいつはあったかい家でご飯食べるんやろうなあと思うと。夕方に寂しさって急に来るんですよ」
下町の夕方。昭和のカレーライスの香り。それを他人の家庭で食べさせてもらえたときのしみじみした嬉しさ。その嬉しさの後にくる、照り返しのような寂しさ。
思えばそういうことを肌で知っているからこそ、雀々さんの噺には温もりや人の情が深々と感じられるのでしょう。
「本当にね、よくぞこの芸があったな、と思いますね。よくぞ落語家という職業があったよな、って」
歩いてきた道をふと振り返り、こんなふうにも思うそうです。
「今の世の中にもね、僕みたいに子どもの頃に親に見捨てられて、つらい思いをしている子もまだまだいっぱいいるでしょう。なんか少しでもね、笑いを生きる力に変えてくれたらいいなあ」
落語のなかには、働くのが嫌な丁稚もどこか間の抜けた侍も、ケチな大家さんも登場します。しかし根底に流れているのは、そんな人間のダメさを許容する、あるいは諦める人としてのぬくもりがあります。早い時期に孤独を知り、自立した雀々さんだからこそ、リアルに人間を見つめ続け、洞察できたものがあるのかもしれません。
桂雀々オフィシャルサイト
http://jak2.net
取材・文 森 綾
フレグラボ編集長。雑誌、新聞、webと媒体を問わず、またインタビュー歴2200人以上、コラム、エッセイ、小説とジャンルを問わずに書く。
近刊は短編小説集『白トリュフとウォッカのスパゲッティ』(スター出版)。小説には映画『音楽人』の原作となった『音楽人1988』など。
エッセイは『一流の女が私だけに教えてくれたこと』(マガジンハウス)など多数。
http://moriaya.jp
https://www.facebook.com/aya.mori1
撮影 萩庭桂太
1966年東京都生まれ。
広告、雑誌のカバーを中心にポートレートを得意とする。
写真集に浜崎あゆみの『URA AYU』(ワニブックス)、北乃きい『Free』(講談社)など。
公式ホームページ
https://keitahaginiwa.com
▽インフォメーション
《取材協力》 圓通寺
圓通寺は、東京都港区赤坂にある日蓮宗の寺院。寛永2年(1625年)に圓通院日亮によって開山されました。
こちらの鐘は江戸時代には時刻を知らせる「時の鐘」として知られていました。賑やかな都心にあっても、閑かな佇まいで、心落ち着きます。今回の演目「景清」ともゆかりがあります。
東京都港区赤坂5-2-39