満堂さんが「人としてちゃんとしてない」と自分を戒める事件は、このインタビューの前日にも起こっていました。
「酔っ払って40万円、失くしちゃったんです。さっき、ここに来る5分前にお金を下そうとしたら、40万円無いんです。どこいっちゃったんだろう。酔っ払って20万ずつ2回引き出して…? 記憶にないんです…。昨日は師匠と一緒に行きつけの店で飲んでたはずなんですが」
テンションが低めの喋り方の裏側にはそんな事態が。
「記憶なくなるまで呑んでしまう。マイナンバーカードも1回失くしたし。6歳になる長男にも『お父さん、またお酒飲んでるの。ダメだよ、ノンアルコールにしなよ』と言われるんですが。もうわかってるんでしょうね。この人、まともじゃない。普通のお父さんとは違うんだと気づき始めている」
家族は大事でも、変わらない自分。
「結婚して、子どもが二人できて。それでも子どもの頃と同じ、モテたくてモテたくてこの仕事していますから(笑) 」
モテたくてモテたくて。アイドルじゃなくても、お笑いタレントの道がある。満堂さんは中学生のとき『ボキャブラ天国』というテレビ番組で、お笑いの世界に夢中になりました。
「爆笑問題。ネプチューン。くりぃむしちゅー。すごいなあと。僕もプロになろうと。最初は漫才をやろうとも思ったけれど、同級生で僕の本気と同じくらい本気な人はいなかった。それで15歳のときにライブをやったのが始まりです。制服姿で『笑っていいとも』に出て一発ギャグをやったりもしていました。その時は、落語をやるとは夢にも思っていなかったです」
やがて末高斗夢としてお笑い芸人に。テレビのレポーターや、モノを駆使したダジャレギャグで人気者になります。
「だからね、今も僕は末高斗夢で『落語家になって真打にまでなってしまう』というコントを延々演じ続けているような気がするんです」。
落語を教えてもらったのは春風亭小朝師匠でした。そこで、三遊亭好楽門下に入ることを勧められました。
「始めは落語家になりたくてなりたくて、という感じではなかったんです。でも、師匠(好楽)のところへ伺ったら、すっかり話ができていました」
好楽一門は、他の師匠のところとかなり違っていたそうです。
「自由なんですよ。うちの一門の特徴としては、普通のみんな師匠の芸に似てくるんだけど、誰も似てない。誰も見てないし(笑)。師匠が舞台に上がっているときに、普通は誰かソデにいるもんなんだけれど、誰もいない。うちの一門だけなんですって!」
それでも好楽一門には20人以上の弟子がいます。
「師匠(好楽)は優しいんですよ。師匠の人柄が好きで集まっているんです。だって、尊敬して入るとみんな仲悪くなっちゃうんですよ。弟子たちは師匠にいかに振り向いてもらうかっていう闘いになるから。嫉妬で仲が悪くなるのが普通なんです。うちはそういうの無いから。芸に惚れるより、人に惚れてる。そういう言い方すると怒る人もいるかもしれないけど、そっちの方が深いですよね」
自宅に寄席まで作った好楽師匠。しかしその神聖な舞台を満堂さんはいきなり汚してしまいました。
「呑みすぎて吐いちゃったんですよ。まさかでしょう。だけど、そのときも『今日はどこまで飲むかという企画だから、一番呑んだとむが1等賞!』って笑ってくれたんですよ。翌日も体調を心配してくださいました。ほんと、優しいんです。だから僕も孫のように甘えちゃってます」
好楽師匠の大きな手のひらの上で自由に生きているように見える満堂さん。しかしなぜ真打とともに「三遊亭」ではなく「錦笑亭」になったのでしょう。
そこにも、好楽師匠の慮りが働いていたようなのです。
「僕はもう『真打も三遊亭とむでやりゃ良いんじゃないの』くらいの気持ちでいたんです。正直言うと、自分で自覚していないところで落語家という職業にちょっと飽きてたのかもしれない。そこに師匠は気づいたのかもしれません。あるとき『名前だけど、小朝に頼んでおいたから』っておっしゃった。一瞬、「えっ!!」て気持ちになったのですがよく考えたら、小朝師匠に落語を習っていたのだし、師匠(好楽)を紹介してもらったのも小朝師匠だし、と、受け入れました」
小朝師匠は画数まで調べ抜いて「錦笑亭満堂」と名付けてくれたのでした。
「錦笑亭。意外と気に入ってるんです。かっこいいし、謎だし。小説や漫画に出てくる落語家のキャラクターの名前みたいじゃないですか。それに初代ですよ。一大派閥にしてやろうか。これはこれで、楽しんでみようかと。三遊亭という枠に収まらないでほしいという師匠の願いも感じます。だからもっと世に出ないとなあ。頑張らないと。世に出ることが、師匠孝行でしょう」
その実、とても師匠に恩義と感謝を持ち続けている満堂さんなのです。