昨今、原作者と脚本家の想いのすれ違いが取り沙汰されたりしますが、『孤独のグルメ』に関しては、久住さんがほとんど脚本も書いているそうです。
「一応の脚本は上がって来ますが、脚本家に申し訳ないけど、真っ赤にして返しています(笑)。ストーリーはいじらないですが、五郎の頭のなかの言葉は8割ぐらい僕が書き直しています。松重豊さんがこう喋ったら面白いだろうな、というふうに。『納豆を混ぜるという行為は…祈りだ』とか(笑)」
井之頭五郎は松重さん。松重さん自身も、役への思い入れは強そうです。
「シーズン1からの監督さんがシーズン5で亡くなってしまったんです。その時はもう終わるしかないと思いました。でも松重さんが『若いスタッフも育って来ているから、やろうよ』と言って。そのあたりから、松重さんが番組づくりをずいぶん引っ張ってくださるようになりました。ケータイをロッカーに入れて沖縄に行くとか。沖縄で終わらず台湾まで行っちゃったら面白いね、とか。松重さんを含めたみんなでアイデアを出し合って。コロナの最中は、ミニクーパーで東京から京都へ行くとか。一人で車に乗ったら誰とも接触しませんからね」
スタッフは松重さんが実際に店内で食べるシーンを撮影する前に、4回は店を訪れているそう。
「実際の店の人たちと似ている人をキャスティングしているんですよ。そして現実の店の営業中のちょっとしたやりとりも物語に反映させている。たとえば、大将が水を出しっぱなしにするのをおかみさんがしょっちゅう『水!』って怒るとか、そんなさりげない店の日常を拾っています。そこが『孤独のグルメ』です。それは若い僕が、神保町の食堂で観ていた視線そのものです」
なるほど、とても自然なやりとりは実際のエピソードからも生まれていたのです。時には番組最後のコーナー『ふらっとQusmi』の撮影が、先になってしまうことも。
「たまに僕のコーナーが先になっちゃうと、店の人がえらく緊張していたりします。頼んでないのにいきなりビールが出てきたり。そういう時は、これは麦スカッシュですか?とトボケてみる(笑)」。
劇中に流れるちょっとほっこりするようなオリジナリティあふれる音楽も、久住さんの担当。
「音楽は頑張っていますよ。シリーズ10まで全て作っていますから、400曲以上あるんじゃないかな。階段を昇っている時の不安な音楽10秒とか、そういうのもあるし。ミニクーパーで松重さんが一人走るシーンは、屋台みたいだなと思って、チャルメラの♪たららーらら、っていう音をもじって作ったり。静岡の富士山がドカンと見える場所でたい焼きを食べるシーンに合わせて、曲を作っていたら、撮影当日、曇りで富士山が見えなくて。それで『曇天富士』という曲を新たに作ったり。もっと時間があれば、出来上がった映像を観ながらアドリブで演奏をつけたいなあとか思いますよ。マイルス・デイビスやニール・ヤングがやったように」
歌を作ってうたったり、劇伴の曲を書いたりと、作曲家としての久住昌之さんの仕事も長いキャリアが。
「大学3年生のとき、早稲田の小劇団のチラシやポスターのデザインをしていたんです。そうしたら劇団の人が僕のバンドのライブを観に来てくれて『劇伴音楽の演奏をしてくれませんか』と言われて、何本かやったんです。そのうち『作曲もしてみませんか』と言われました」
そこからかれこれ45年。久住さんは今も忙しくライブ活動にも勤しみます。
「今もいろんなユニットで、年間30本ぐらいのライヴをやっていますね。そもそも、中1のときに初めて買ったレコードがサイモン&ガーファンクルの『サウンド・オブ・サイレンス』と、エンニオ・モリコーネの『夕陽のガンマン』のサントラだったんです。シンガーソングライターのものと、ドラマのサントラ。今につながっていますね」。