俳優も裏方も極めようとしている本物の人たちばかり。秋本さんを厳しい現場が待っていました。
「始めてすぐの頃は、監督に限らず、照明、記録、カメラマン、全員に叱られる日々でした。今なら『使えない!』で終わっていたと思います。でも『ふざけんな、辞めちまえ』のあと『秋本、できないんで、こっから3時間休憩をとります』という感じで『こういうときはこうするんだよ』と教えてもらえました。私も『本当にできなくてすみません』という気持ちだったので、必死でした。俳優の先輩方には、本の読み方から教えていただきました」
ドラマや映画など、映像を撮っていくのは物語の順を追ってではない場合もあります。
「物語の流れで感情をつくっていくことはできません。犯罪のシーンは後で、いきなり罪を告白するシーンから始まる場合もあるんですね。流れを読んで、自分のバイオリズムをつくらないといけない。皆さん、しっかりやられているので、私がふわふわやっていたらシーンが締まらなくなります。反対に自分でつくり込みすぎて現場に行くと、ロックがかかっているようになって、遊びがなくなる。つくった上で、一回壊す。時間の余裕はあった時代だったし、楽しい作業でした」
試行錯誤をしながら、秋本さんは自分の演じ方を見つけていったようです。
「いろんなパターンの役者さんがいますが、私は憑依型ではない。本を読み込めば、書かれているので、こねくり回さず、素直にやってみよう。そう思えるようになりました」。
この6月、秋本さんは、20世紀初頭にパリで活躍したイタリア人画家・モディリアーニの生涯を描いたミュージカル『モンパルナスの奇跡〜孤高の画家モディリアーニ』に出演します。
「8人で演じる舞台で、とても楽しみです。今、第一稿が上がってきたところ。脚本も曲もオリジナルです。私はミュージカル歌手の方のような歌いかたはできないんですが、舞台という表現はとても好きなんです」
初舞台は32歳のとき。アガサ・クリスティの『ホロー荘の殺人』でした。以後、映像だけではなく、舞台の仕事も続けています。45歳ごろからは、また歌も再開しました。
「板の上、というのがずっと好きだったんですね。子どもの頃、生まれ育った松本の松本市民会館の演目を祖父がすべて連れて行ってくれたんです。コンサートだけでなく、演劇も、落語も、浪曲もありました。だから板の上、楽屋も無性に好きで。私には目立ちたいとかちやほやされたいという感覚はなくて、いつもこれを仕事にしたいという感覚でいました」
彼女にはお祖父様と通った松本市民会館の思い出がしっかり刻まれているようです。
「今も楽屋の独特の湿っぽい香りが好きですね。松本は季節の変わり目の香りをはっきり感じることができる場所です。川辺も山里も、今はきっと新緑の香り。音楽と香りは、当時の記憶を呼び覚まします。そうそう、幼稚園の頃、お寺がやっていたので、毎朝、私はお線香をあげる当番でした。いまだにその白檀の香りは好きですよ」。