森山未來と藤竜也。どちらも自分なりの演技への造詣をもっていそうな二人。本当に向き合うだけでも緊張感が伝わってきそうです。
「僕は撮影現場は基本的に静かな方が好きです。「大いなる不在」の現場でも、誰かムードメーカーがいて、笑いを提供するとかそういうのはまったくなく、淡々としていました。そこへ彼らも静かに来て、事前の二人で何か打ち合わせをすることもなく、対峙するシーンをパッと撮ったんですが、まさに居合のようでした。森山さんも藤さんも自然体で、じゃあ1回やってみましょうと、向き合って。その様子を見たとき良い作品ができる、と思いました」
その後、近浦監督は二人の俳優の対峙に何度もぞくっとさせられることとなります。
「卓が、認知症の施設に入った陽二と面会するシーンが3度あります。その間、卓は陽二のこれまでを少しずつ知り、心境を変化させていく。陽二は認知症の初期ですから、「まだら認知症」のように、ある瞬間それが発露したり、ある瞬間は記憶が正確であるかもしれない。その二つの存在がぶつかっていく。二人が対峙する様子は、この映画の見どころの一つです」
別のシーンで、大学教授であった陽二が、友人のお別れ会で滔々と立派なスピーチをします。
本当に認知症なのか、と思えるようなシーンです。でも実際に認知症の人にもそういうことはあったりします。
その両極の落差を演じ切った藤さんは、サン・セバスティアン国際映画祭で最優秀俳優賞という日本人初の受賞を手にしました。
「サン・セバスティアン国際映画祭は71年の歴史がありますが、日本人の俳優が受賞したのは初めてです。藤さんの演技がすごく評価されて、そういう映画をつくることができて、本当に嬉しいです」
『大いなる不在』の冒頭は、俳優である卓が、演出家のワークショップに参加するという場面から始まります。
「撮影に入る前に、森山さんと僕とで長時間ディスカッションしました。ある日は、6〜7時間休みなく話したりとか。今回、彼が演じる卓という役は、ほとんど顔の筋肉も動かさないような静かな人物。感情が湧いてくる理由はなかなかわかりづらいなかで、例えば、なぜ自分たちを捨てた父親の世話をしようとするのか、なぜ熊本まで行くのか。森山さんがそこのところに腹落ちするまで、入念に話し合いました。そして、冒頭のワークショップのシーンについて、当初の脚本の内容に森山さんは違和感をもっていました。映画だけはなく演劇界でも活躍されている彼ならではの感覚だったと思います。僕としても偽物っぽいことはやらせたくない。オーセンティックに感じられるものを一緒に作りたいという想いがありました」
卓という人は、NHKの大河にも出るけれど、前衛的な芝居にも出ている俳優という設定。そういうバックグラウンドは、複雑な心境を抱える卓という役には必要だったのです。
「いろいろと詰めていくなかで、ここは実際に第一線で活躍している演出家を呼ぼうと。それで、海外でも評価の高い、劇団「Q」を主宰する市原佐都子さんを本人役で特別出演していただきました。『瀕死の王』という劇作をもとに、一つ朗読劇をつくるというのを実際に朝から晩までやりました。僕は、森山さん演じる卓と本人役の市原さんが議論を重ねてコラボレーションしている様子をカメラ越しにつぶさに観察し続け、会場の撤収時間ギリギリの15分前に、映画のストーリーに合わせて作為的に撮影するショットを3つだけ撮らせてもらい、ドキュメンタリーのように撮影したショットとマージして、この映画の中に意味のある形で位置付けました」
「瀕死の王」は壊れゆく父・陽二の姿であるとも取れますが、近浦監督はそこまでは意図していなかったそうです。
「あえてリンクさせるとか、そこに象徴させるつもりはありませんでした。そういう抽象化した入れ子構造には逆に懸念を持っていました。ただ、最終的には良いバランスがとれたのではないかと思っています。陽二を象徴する王の役を息子である卓が演じている、というふうに観てもらっても良いと思います」