フレグラボ第54回のスペシャルインタビューで「次はフィリピンで、母親を亡くした娘と父親の物語を撮りたい」と語ってくれた結城貴史さん。しかし実現するまでには想像を超える紆余曲折があったようです。
「2018年の時点では状況を知りに行っていた感じですね。3回行ったのかな。最初はある小説を題材にするつもりだったんです。でもボクシングジムに泊めさせてもらって、トレーニングしながら取材して、ということをやっていると、彼らのことにどんどん興味が傾いていきました。若いボクサーたちが面白がって取材を手伝ってくれるんだけど『おまえら、なんで映画なんてやってるんだ。日本でサラリーマンやれば儲かるだろ。僕らはこれしかないけど』と言われてね。そこでボクシングをやっている彼らとの物語にした方がいいなと思って。それで、その時あった企画は全部捨てて、2019年に倉田さんを呼んで、取材をしなおし、新しい脚本を作ったんです」
現地の若いボクサーたちは、ジムでトライアウトし、プロとしてやれそうだという人は食事と生活の面倒を見て貰えます。それは全部ジムのオーナーが出してくれる。その代わり、プロになったら賞金は折半。
「ジム裏のストリートは、最初は入っちゃダメだと言われていた場所でした。でも結果、そこは現地の協力により、映画のロケ地になり、今は一人で会いに行ってもみんな覚えていてくれるし、なんだまた来たのか、という感じ」
しかし、撮影に入る前に、結城さんたちは大きな失敗もしました。現地の日本人に騙されたのです。
「何度も会っていくうちに信用し切っていた人がいたんですね。我々が、とあるお願い事のために準備していたお金を渡した瞬間、いなくなりました(笑)」
予算を切り詰めてやっていたのに、いきなり数百万が消えたという大失敗。でもそこでめげなかったのが、結城さん。
「この経験も脚本に生かそうと、脚本家の倉田さんと話し合いました。エロルドジムのフィリピン人たちには『日本人を一番信用するな。なんで俺らに相談しないんだ』と叱られました。そのセリフも生かした。日本人の僕らにそんなセリフを言うのは、僕らのことをもはや日本人とは思っていないんだなと。仲間になった瞬間だったんだなと思えたんです」
「あの数百万は、勉強代だったな、と」。
とにかく映画『DitO』を見ていると、街の匂いがむんむんと想像させられます。
「前回のインタビューで『香り』について質問されたのをきっかけに、僕はこの映画でフィリピンの街の色、匂い、音、暑さと五感に訴えるものを伝えたいと思ったんですよ」
確かに、背景の色は原色で、鮮やかに視覚に迫ってきます。人の汗の匂い、ほこりの匂い。そしてそんなあまり良くはない匂いと同時に、南国のフルーツの甘い香りや、美味しそうなご飯の香り、海の香りが混じり合います。そして、音楽はドラムとサックスが即興で交差するジャズ。
「ジャズのバンドとじっくり話し合い、何回も映画を観てもらって、映像に当てながら生演奏してもらいました。本来、ステレオのクリアな音で録れるにもかかわらず、あえてモノラルで録っているんです。ドラムは主人公の英次の心臓の鼓動、そしてサックスは桃子の心境、といったふうに。ジャズで初めてフィリピンのスラム街に降り立つ人の不安を描きたかった。その得体のしれなさみたいなものを音楽で表現したかったんです。だから、トルコで最優秀映画音楽賞をとれたのはとても嬉しかったですね」
ボクシングの映画でジャズを使うのはとても珍しいこと。
「だいたい、リングのシーンでもロックかヒップホップなんですよ。フィリピンもあまりジャズのイメージはないかもしれません。でもジャズを使ってよかった。今はサントラの準備もしています」。