映画はフィリピン人スタッフ約15人、日本人約15人という混成チームで撮影されました。
深い信頼関係を築けたのは、時間をかけたから。
「今、僕には時間があったから、それを有効活用しなきゃいけないと思ったんです。場所を作り込むこと、役作りをすること、本をもっと突き詰めること、そして現地の人たちと関係性を作ること。全てに時間があったから、そこはもう絶対に誤魔化しちゃいけないと。とにかく、フィリピンで一人で生きていくということはどういうことだろうと考え続けました」。
初めての監督と主演。二つを同時にやってみて、結城さんらしさが際立ちました。
「とにかく丁寧に作りたかった。日本だと、予算の関係で1週間とか2週間で撮らないといけないところを、実質2ヶ月かけたので。それでも、フィリピンチームと大喧嘩したこともありましたよ」
信頼関係の見える映像ですが、そんなことがあったとは。
「フィリピンチームに2日ぐらいボイコットされたんです。日本人は働きすぎだ、うちのスタッフを休ませてくれ、って。あの時は焦りました。その他諸々、文化の違いありました。日本人スタッフはどんどんお腹壊していくし。減量していたんで、僕だけは大丈夫だったんですけど。で、後半は日本食にして、おにぎりと味噌汁にしたら、みんなあっという間に回復しました」
まさにチームワークで作り上げた映画。監督としての仕事はもちろん、ボクサーを演じる主演俳優として、役作りは命がけとも思えるほど。
「2年間、ほぼ毎日5キロ走って、毎日、ジムへ行って。まあ、基本は親子の再生の物語ですけれど、たまたま職業がボクサーですからね。やる以上はちゃんとやらないと」
劇中のシーンでも、走り込む姿はもちろん、本気で試合するシーンも出てきます。
「自分が監督だから、殴られてもいいわけです。あれを俳優にお願いするなら相当気を遣いますけど。自分が俳優で監督に言われるのも嫌だし。相手はプロボクサーですから。僕も自信はあったし、最初は普通の流れで。15秒は防御だけするから思い切り殴ってくれと言うのを何回か作ったり。ただ殴り合うだけの時間を作ったり。絶対に決めたかったのは、映画だから誤魔化すというのは嫌だと。ボクサーとレフリー以外はリングに上がらせず、カメラは絶対に外からにしました」
安全は考えながらも二の次とした試合のシーンは、試写会に訪れたボクサーたちも見入っていたほど。
「ボクシング映画は安全を加味しなきゃいけないから、似てしまう。だからこそ、全部手法を変えてやりたかったんです。もちろん、パッキャオは手を抜いてくれているんですけど、僕は3分3ラウンドガチで挑んでいった。ただただ楽しかったです。パッキャオと向き合うなんてないんですから」
神山英次と娘の桃子。結城さんは、どちらにも自分がいる、といいます。
「僕の母の旧姓が神山、父の名前が英次なんです。家族のことを書きたいなというのはずっとあったので。だから、英次や桃子のセリフにも昔、父に言われた事や言ったことが入っていたりする」
40歳を過ぎてもプロボクサーでいようとする神山英次という男。それはまた、映画を作ると言うことを諦めない結城さん自身にも重なります。
「だからね、スーパーヒーローにはしたくなかったんですよ」
逃げたくなる弱さもあるから、人間。人間の生っぽさがあるからこそ、夢に立ち向かう人の本当のリアリティが見える。この映画は、やはり人が人として再生し、つながり合う物語なのです。
映画『DitO』 公式サイト
https://www.ditofilm.com/
取材・文 森 綾
フレグラボ編集長。雑誌、新聞、webと媒体を問わず、またインタビュー歴2200人以上、コラム、エッセイ、小説とジャンルを問わずに書く。
近刊は短編小説集『白トリュフとウォッカのスパゲッティ』(スター出版)。小説には映画『音楽人』の原作となった『音楽人1988』など。
エッセイは『一流の女が私だけに教えてくれたこと』(マガジンハウス)など多数。
http://moriaya.jp
https://www.facebook.com/aya.mori1
撮影 萩庭桂太
1966年東京都生まれ。
広告、雑誌のカバーを中心にポートレートを得意とする。
写真集に浜崎あゆみの『URA AYU』(ワニブックス)、北乃きい『Free』(講談社)など。
公式ホームページ
https://keitahaginiwa.com