大学院で立体作品や空間を作っていた井上さん。作品のテーマは「家族と記憶」など、人と記憶の関係性をコンセプトに表現していました。
「人間は人それぞれ個性を持ち、それはまるで明治製菓のマーブルチョコレートのカラフルな色に似ていると思いました。そして、色とりどりな中身は、全て同じ茶色のチョコレート。色彩豊かな個性がある人間も、中身は同じ生物であり、いずれ土に還る命だということを表現したいと思ったんです」
そこで井上さんが行き着いたのが、マーブルチョコレートの作品「Marble project 2001」。
「展覧会場の床に8万粒のマーブルチョコレートを撒いて、来場者はお風呂場のスリッパを履いて、それを潰していくという作品をつくったんです。8万粒もあるから、空間はむせかえるほどの濃いチョコレートの匂いになるのです。たまたま来場した医療関係の方が、「このチョコレートの匂いがあまりにも強烈で、井上さんの作品は「匂いと記憶」の脳機能を調べてコンセプトを深めていくと、作品の世界観がもっと広がりますよ」と言って去っていかれました。
そのデビュー作が公開されたのが2001年。
「作家としてもっと研究したい、と思ったとき、アメリカに渡り研究したいと思ったんです。文化庁在外研修派遣で研究活動を望みましたが、当時は『匂いと記憶』のアートは、日本では前例が無く、評価がむずかしかった時代。母校の学長に推薦書をお願いしたこともありましたが、却下されてしまい、悲しみに暮れたこともありました。でもそこで諦めるのではなく、多方面で私の作品を認めてくれる美術界の人にアプローチをかけました。自分の表現は必ず未来を切り開けると自信があったんですよね」
井上さんは、信頼する美術館の学芸員さんやアートディレクター、他大学の教授に手紙を送ったり、作品のアドバイスをもらいに行きました。
10年後、井上さんは推薦をもらい、アメリカに渡りました。
2005年、アメリカに足を踏み入れた井上さん。ところが、その当時のアメリカはペインティングブーム再来。空間作品よりも平面作品が人気で評価が高まる時代に突入していました。
「ギャラリー界隈は、平面作品を市場価値にする流れでしたが、アメリカは、アートが社会にコミットしているため、アーティストと社会の関係性、芸術文化の価値を学ぶ機会を大いに得ました。ニューヨークでの私の活動は、建築家、音楽家、キュレーターと一つのチームを作り作品を作ることを目的にしていました」
アメリカでの井上さんの交友関係は大きく広がっていきました。
「アメリカで親交が続く友達は移民者が多かったです。ヨーロッパやアジア圏から移民してきた人の方が国の歴史文化を共に語らえるからか、親交を結びやすかった気がします。現在も仲良くしているドイツ系アメリカ人の友達の匂いの記憶が印象的で、彼は、子供の頃に両親の離婚をきっかけに父と一緒にアメリカに渡ることとなり、ドイツを最後に発つ時に駅の自動販売機で買ってもらったピーナツクッキーが思い出の匂いだと語ってくれました」。
思い出と香りの結びつき。その人のこれまでを形成しているものをそこに感じて、井上さんはますます「香りと記憶」に興味を募らせていきました。
「ニューヨークは観光地なので、1年中、イベント、お祭りが催されています。夏の夜に行われた『Puzzle』というイベントでは、一夜にして街がクイズで彩られます。なんと土曜日の22時から翌日日曜18時まで夜通しで実施されるのです。芸術、数学、歴史、文学、建築、民俗学、哲学、医学などあらゆるジャンルの問題が出題されるクイズが特徴で、例えば、ルイ・ヴィトンやグッチなどのハイブランドのショーウィンドウには統計問題が掲示されたり、宣伝広告の間違い探しとして、類似ポスターが掲示されたり、また、裏路地にいるホームレスがヒントを担うキーマンになるなど、マンハッタンの街を担う一人一人の存在にフォーカスを当てて構成されています。このイベント自体は、寄付金やニューヨーク州の文化芸術財団などを通して運営され報酬が出るのだと思います。そしてイベントの参加者は、約100近いクイズを通して街の環境課題や未来課題を楽しみながら学ぶ機会となります。クイズを進行するにあたり、参加者はあらゆる交通手段を利用してもよく、ファミレスのようなダイナーは休憩所の役割を担います」
マンハッタンの地下鉄は24時間運転。このイベントにぴったりな移動手段です。
「参加チーム編成は、約20人で1チームを作り、あらゆる人種、職種の人が結集するとクイズの解答率が上がるため、チーム編成にも工夫を凝らしていました。約20時間のイベントのため夜中に睡魔との格闘もありました。今もなお、このイベントに参加した経験が現在の私の活動につながっているように思います。全ての人種、民族文化をリスペクトして開催されたニューヨークらしいイベントです。日常では、無意識に潜む人種差別を経験しましたが、このイベントではありませんでした。例えば、折り紙で形を構築して答えを導き出すクイズでは、日本人の文化が着目され、形を構築する技術では、建築家の視点が必要になるなど、一人一人の役割の重要性に気づいていきます。他、面白いクイズ例は、チーム全員で道端に倒れて死んだふりをした写真を撮影する。とか、エアー・ストリート・ミュージシャンで曲を演奏して通行人から演奏料をもらえなど。多種多様な出題がありました」
眠くて脱落する人もいますが、驚くのは、本当に月曜日からは何事もなかったかのように、いつものマンハッタンに戻るということ。
「その経験が、帰国して、日本で『くんくんウォーク』というイベントを主宰することにつながりました。2006年にスパイラル/株式会社ワコールアートセンターから、柏の葉キャンパス(千葉県)で匂いを嗅ぎながら歩くイベントを企画する依頼をいただき、「くんくんウォーク」が誕生しました」
2005年に開通したつくばエキスプレスの柏の葉キャンパスの駅にUDCK(柏の葉アーバンデザインセンター)が誕生し、翌年には、ららぽーとや高層マンション群が建設され、街の風景が一変しました。
「2006年の時点では、パンの工場の匂い、畑の匂いなど田舎の風景の和やかな匂いでした。翌年、何千人という世帯が移住し、マルシェが開催されたり、商業施設の匂いが街の匂いの風景に変化をきたし、空気の流れも人口増加に伴い一変。たった一年の変化で匂いの風景が変わった経験に面白さを覚え、このプログラムはさまざまな地域や場所で実施できるなと思いました。そこで、動物園や美術館、空港などで実施するようになりました」
東北大震災の復興プロジェクト「一時画伯」の依頼で、羽田空港の全ターミナル(第一ターミナル、第二ターミナル、国際ターミナル)を嗅ぎ回る「くんくんFlight」も実施しました。
「ダンボールで作られたフライト・アテンダントの帽子やマイク、ポーチなどのアイテムをスタッフは身にまとい、参加者の子どもたちは、公共機関を歩くマナーなども学びながら、各ターミナルの匂いを楽しみました」。