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    第220回:山中崇史さん(俳優)

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《2》小学3年。たった一語のセリフがウケて、役者魂に目覚めた

 山中さんが生まれたのは、埼玉県大宮。理髪店を経営していた祖父母の住む茨城県旧三和町、現在の古河市に8歳で引っ越します。

「ずっとおじいちゃん、おばあちゃんに髪を切ってもらっていたんですが、じっとしているのが苦手な子どもでね。もしくは寝ちゃう。くすぐったい。シッカロール、ヘアトニック、ポマード。蒸したタオルを作るために、いつも蒸気が上がっているから、そういう整髪剤なんかの香りが独特でね。それが子供の頃はすごく苦手だったんです。だけど、大人になって、どこかの街を歩いていてその香りがすると、もう心はそのおじいちゃんおばあちゃんがやっていた理髪店にいるんですよ。気持ちが飛んじゃう。僕は初孫だったからたいへん可愛がってくれて、幼い当時流行ってた超合金のおもちゃをたくさん買ってくれました。それで遊ぶのは楽しかったなあ」

 落ち着きはなかったけれど、人前で何か面白いことをするのは好きだったという山中少年。彼が役者魂に目覚めたのは、なんと小学3年生の学芸会でした。

「3年生で大宮から茨城県の古河市に引っ越したんです。昔は三和町と言いましたが。当時の僕は牛乳瓶の底のような黒縁の眼鏡をかけている少年だったんです。ところがそれが、学芸会のある役に抜擢されるきっかけになりました」

 学級の先生は、彼に医者の役を当てたのです。

「『海幸彦山幸彦』というお芝居でした。いつもは山で狩をしている兄の山幸彦と、海で釣りをしている海幸彦が、ある日、仕事を交換するんです。弓と釣り竿とを交換するのかな。それで、山幸彦は海で大切な釣り針を魚に飲み込まれてしまう。その針を取り戻そうと、竜宮城に行くのですが、そこで乙姫様に話をすると『この鯛が釣り針を飲んでいるから、それかもしれない』ということになり、医者が呼ばれるのです」

 その医者こそ、山中少年!

「看護婦役の女の子が僕の医者鞄を恭しくもって、ついてきます。長めの白衣をゾロゾロ、ゾロゾロとさせて出ていくと、見ている父兄の皆さんが笑い出したんですよ。それで、僕は鯛の口から針を出し『おおお、あった、あった』と言う。セリフはそれだけ。でもそこで拍手喝采、大歓声です。それがすごく気持ちよかったんです。それが僕にとっては、芝居に目覚めた瞬間だったのかもしれません。歌舞伎俳優の子どもたちも、初舞台で大きな拍手をもらい、スポットライトを浴びて、舞台の上に立つ幸せを実感すると聞いたことがあります。舞台の大きさは比較になりませんが、僕は偶然にもその感覚を小3の時に得たんです」

 お客さんが拍手喝采して喜んでくれる。それを嬉しいと感じた気持ちは知らない間に心の奥で育っていったようです。

「小中高とそういう感じで来て、就職をするとか進学や専門学校へ行くという気持ちも出てこず。目立ちたいとか、またああやって喜ばれたいと思ったのがありましたね。それで、高校を卒業してある劇団の養成所に入ったんです。そこはすぐに辞めてしまうことになるのですが、そこにいた講師の福島先生が『おまえは舞台に向いているかもしれない』と言ってくださったんです。その時のテキストが扉座の前身の『善人会議』を立ち上げられていた横内謙介さんの戯曲だったんですね。横内さんは当時30代前半だったのに、すでに何本か代表作があって。福島先生が『横内っていうのはすごい』と言ってた。そんなふうに、僕は最初から横内さんの戯曲を刷り込まれていったようなところがあります」

 20代に差し掛かっていた山中さん。同じ養成所にいた仲間たちは自分たちのしたい演劇を求めてどんどん辞めていきました。

「僕も養成所を出て、仲間たちがやっている舞台に出してもらったりしていたんですが、『扉座』を受けることにしました。そこで横内さんが書き続けていましたから」。

山中崇史さん

《3》初めての主演舞台から、ラジオの仕事も決まった

 当時、劇団は、入ったばかりの劇団員にとっては、なかなかきつい場所でした。

「どこもそうだったと思いますが、上下関係はすごく厳しかったですから。簡単には役なんかもらえません。僕はけっこう生意気で、座長のことはすごいと思っていたけれど、他の劇団員にはほとんど興味がありませんでした。多少疑問もあったり。六角精児さんが先輩ですけれど、あまり来ないし(笑)。でもとにかくここで一番になろうと思いました」

 横内さんは、役者に当て書きをして戯曲を書く人。山中さんにも山中さんが主役の戯曲がやってきたのです。

「『ドラキュラ白書』という戯曲を書いていただき、それが最初に主役をやった作品でした。ドラキュラの青年の役なんですが、気持ちが高揚するとラップを歌い出すという。下北沢のスズナリで。それをやらせてもらえたのは、本当にありがたかったですね」

 しかもその舞台は、別の大きな仕事が舞い込んでくるきっかけになりました。

「共演していた劇団員がTOKYO-FMでレギュラー番組をやっていた坂上みきさんの番組に、『観に来てください‼』とFAXを送ったらしいんです。そしたら坂上さん観に来てくださって。同じ頃、番組改編で新し喋り手を探していたあるディレクターさんが坂上さんに『若い役者を探しているんだけれど』と相談したらしいです。そしたら坂上さんが僕のことを紹介してくれたんです。『ラップは下手だったけど、面白かったよ』と。それで僕はオーディションに呼ばれました。でも僕、ラジオで喋ったことないし、聴いてたのはAMラジオの深夜放送くらいで」

 山中さんがディレクターに指示されたのは「マイクの向こう側で聴いている人たちに向かって喋ってください」ということでした。

「オーディションも、半蔵門の本社ビルの上の階にあるスタジオでやりました。そこから半蔵門や皇居のお濠が見えるんです。マイクの向こうにいっぱいお客さんがいる、と言われて、僕はそっちを向いて喋りました。窓の向こう側に実際に見える人達に向かって。そんな奴はいなかったみたい(笑)」

 オーディションは無事に合格。山中さんは22時から1時間半のワイド『ミリオンナイツ』で、月〜木曜に日替わりのアシスタントの女性といきなり番組を担当することになりました。

「1年半続いたのかな。有名なミュージシャンたちと会うことにもなって、GLAYとか、モーニング娘。とか。上戸彩さんには、イベントのMCにも呼んでもらいました。僕はファンの立場に立って、ファンが聴いてほしいことを聞いてたから。だからイベントでも『山中、これを聴いてくれ〜』とか、ファンが僕の友達みたいに言ってくるんです。『ちょっと待ってくれよ』と返したりしてね(笑)」。

山中崇史さん

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