一語一語、確かめるように話してくださる渡部さんは、少年ぽさが匂うエイジレスな雰囲気も漂います。
子どもの頃は、おばあちゃん子でした。
「両親が共働きで忙しかったんですね。それで、祖母に面倒を見てもらっていました。青森出身の優しい人でした。祖母はビルの清掃のパートをやっているんですが、幼い僕を連れて行って、廊下とか、休憩室みたいなところで待たせていて。その度に本を買ってくれるんです。大好きでした。亡くなりましたが、今も大好きです。最近、よく思い出すんですよ」
10歳になり、弟が産まれるまではおばあちゃんを独占していたという渡部さん。11歳になると、母親の勧めで事務所のオーディションを受けました。
「半分ネタみたいになっていますが、母親が『東京に出る機会が欲しかったから、僕を事務所に入れたかった』というのは、どうやら本当です。私自身も、大人の前で自己紹介するのは苦ではなかったし、いろんなところに行けるのは楽しかった。しばらくして、一人で特急電車に乗って、週一のレッスンに通っていましたね」
しかし、一時期、辛いと思ったこともありました。
「中学校に上がって、柔道を始めたんです。すごく厳しい学校で、柔道は強かったんですよ。年間、363日ぐらい練習があるような部活でした。それはつらいけど、顧問の先生がとても優しい方で、その先生に、オーディションのたびに『休ませてください』というのがすごく嫌で。『ああ』みたいに返事してくれるんだけど。それで、柔道も楽しかったし、もう事務所を辞めたい、東京へ行きたくないと言ったこともありました」
芸能活動をしぶしぶ続けていた矢先、映画の仕事が決まりました。
「中2の時に『独立少年合唱団』という映画の、役付きエキストラみたいなのが決まったんです。いわゆる役者の卵の同世代の子たちと一緒にやっていると、今度はこれが楽しくなった。居心地がいいな、居場所ができたなと思ったんです。役者に目覚めたというほどではないけれど、これからはこっちに比重を置こうと思いました」。