祖父、父との絆。兄との絆。束縛ではなく、強制でもなく、目に見えないけれど、しっかりつながって支えているもの。勘九郎さんと七之助さんを見ていると、その絆の尊さを感じる。57歳という若さで亡くなった十八世中村勘三郎の後、ふたりは中村屋の名跡を懸命に動きながら守ってきた。その形の一つが、今回の『春暁歌舞伎特別公演2026』なのである。
2005年から始めたこの公演、始まりは学生のお客様からの手紙が来たことだった
「ある学生さんから『私は東京以外のところに住んでいるので、歌舞伎を観に行こうと思うと、電車賃、切符代、夜の部まで見たら帰れないので宿泊代もかかります。それはさすがに無理なので、観に行きたいけど観に行けません』という手紙が来たそうなんです。それじゃあ、自分たちから行こうということで始まりました。おかげさまで22年続いています」
22年続いていても、まだまだ歌舞伎を生で観たことがない人はいる。
「演目の前にトークコーナーを設けていて『初めて歌舞伎を観るお客様、手を挙げていただけますか』というと、常設の小屋がない場所では、7〜8割のお客様が手を挙げられる。これはまだまだやっていかないとと思いますね。チケットの値段もなるべく抑えようとみんなで考えています」
今回の演目の『墨塗女』は、狂言をもとにした作品で、ふたりともに初役。
あらすじは、都にいた大名が故郷に帰る前に愛人の女、花野に別れを告げに行くが、女は別れを惜しんで泣くと見せかけ、茶碗の水を目の周りにつける。それに気づいた太郎冠者がこっそり茶碗の水を墨にすり替える。顔が真っ黒になり、恥をかかされた女は逆上する。…といったコミカルな話。
「狂言の『墨塗』をもとにしているので、キャラクターがしっかりしていて、シンプルで面白い。構成がすごく良くできているんです。歌舞伎役者が演じるのは 昭和23年以来だそうで、誰も観ていない。やりがいがありますが、最初は難しいなと思いました。例えば『身替座禅』も狂言からきた話ですが、愛人の元へ行くことを妻は怒っているという感情のバックボーンがはっきり描かれています。それはそれでその難しさもありますが、今回の『墨塗女』は登場人物の感情につかみどころがない。脚本に、実はこの花野という女が大名のことを本当に好きなのか好きじゃないのかが描かれていないんです。太郎冠者も一体どちらの味方なのかわからない。だからいろんな方向から考えたりしています。まず涙は嘘、だということを見せるのが大事ですし。とにかくみんなで話し合ってつくっていきたい。でもこの話、すごく現代的にも見えますね。中村屋にとってゆかりのある猿若流の振り付けでご覧いただくのも楽しみです」
もう一つの演目は『艶紅曙按接拙(いろもみじつぎきのふつつか)』。「紅翫」と呼ばれるこの演目も、目にも華やかな舞台で楽しそうだ。
「紅翫は実際にいた人物で、お面をつけてお三味線を弾きながら太鼓を叩いて街を練り歩いていたという。大人が子どもに見ちゃダメと言うけど見たくなるみたいな人で、いろんな物売りも出てくるので、わかりやすくて楽しい舞台だと思います」。
