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    第79回:松平健さん(俳優)

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《2》勝新太郎さんに「主役しかやるな」と言われて

 その後、1974年に松平さんはあの大スター、勝新太郎さんの事務所に入りました。
『座頭市物語』の脚本家が劇団の脚本を書いてくださったのがきっかけで繋がった話でした。

「『座頭市物語』の撮影中は半年くらい勝先生の付き人をしていました。それで、その最後の作品に私も出演させてもらえることになったのです。しかもゲスト主役の浅丘ルリ子さんの相手役でした。私にとっては銀幕のなかの人との共演ですから、嬉しかったですね」

 その後、松平さんはオーディションでドラマ『人間の條件』の主役を射止めます。  しかしドラマが終わると、パタリと仕事が来なくなりました。そのドラマが好評で、イメージが強くつきすぎたのかもしれません。いろんな人が声をかけてくれて「友情出演してくれないか」とか「相手役だけど」という話はありました。

「勝先生が『主役しかやるな』とおっしゃるのです。『給料はやるから、勉強していろ』と。私は当時は若くてそんなに深い考えはないですから、来る役はなんでもやりたかっです。でも、勝先生の言うことを聞きました」

 仕事に対して人に対して、真面目で一本気な松平さんは、数々の伝説をもつ破天荒な勝さんにも愛されたようです。

「撮影のとき、食事に連れていってもらったり、キャバレーに呼ばれて行ったり。勝先生はキャバレーでも、突然、ステージにあがって歌い出してしまうのです。人を楽しませるのが大好きなんですよ。ディナーショーに呼ばれていくと、ステージに上がれと言われて、デュエットしたりもしましたね」

 

 松平さんが勝さんの背中に学んだものは、大きかったようです。

「それまではアクションものが好きだった私でしたが、勝先生と出会って時代劇の面白さに気づけたように思います。あの頃は本当にたくさん裏方にもプロフェッショナルな職人さんがいて、みんなで凄いものを作っていたという実感がありました。勝先生が教えてくれたものは、俳優としての“格”だったのでしょう」

 その”格”は、次に来る大役に生かされることとなったのです。

松平健さん

《3》「新さん」と「吉宗」の二役を楽しめたような気がする

 1978年、松平健さんは『暴れん坊将軍』で、徳川吉宗を演じることになりました。普段は身分を隠し、貧乏旗本の三男坊、徳田新之助を名乗って市井のめ組に居候して庶民のなかから問題を拾い上げていく将軍。この主役に挑むとき、勝さんからはこんなアドバイスが。

「勝先生には『将軍をやるんだから、安いところで遊ぶ10回分をためて良いところに行って、そこに来ているお客さんを観察して勉強しろ』と言われましたね。演技に私生活が出る、とおっしゃるのです。もともと、劇団にいた頃に、若駒という剣友会の手伝いもしたり、馬に乗る仕事もしていたので、そこはすんなりと入れました。一方で、新之助をやるときは話口調も庶民的に変えて、別人格を演じるような感じなので、まるで二役をやっているようで面白かったですね」

 民放のドラマでは、男性には所作の先生などはつかないそうで、歌舞伎や古い映画から所作やふるまいを学んだそうです。

「主役しかやるな、というのは、仕事を選べという意味だったと思うのです。
今はよかったと思っています」

 映像に出演する一方で、『王様と私』などミュージカル、ストレートプレイの芝居にも積極的に挑戦してきました。

「『王様と私』はユル・ブリンナーの最後の舞台をブロードウェイへ見にいきました。舞台は大好きなんです。劇団の頃、日劇と合同でミュージカルをやったこともあり、レッスンも受けていました。それが『マツケンサンバ』につながっています。『暴れん坊将軍のイメージを壊す』と言われたこともありますが、舞台には舞台のエンタテインメントがありますから、楽しくやっています」

 エンタテイナーとしての松平さんの可能性はまだまだありそうな気がします。

松平健さん

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