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    第80回:庄野真代さん(シンガーソングライター)

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《2》大ヒット時代はどこか違和感があった

 もともとはフォークシンガーだった庄野さん。「これがダメだったら歌をやめて留学しよう」と思っていた20歳のとき、フォーク音楽祭の関西四国地区大会で優勝。デビューすることになりました。

「『飛んでイスタンブール』は5枚目のシングルで、ヒットしましたが、テレビ局のスタジオで歌っていても、いつもどこか違和感を感じていましたね」

 その違和感は、聴く者にとってある種のクールさ、旅人の情感に結びついたのかもしれません。その後も『モンテカルロで乾杯』『マスカレード』などヒットが続きましたが、1980年には休業宣言。2年間で28カ国を回る世界一周の旅へ出ました。
 その後、1990年頃には、アジア・デビューも果たしています。

「シンガポールや香港のレコード会社にデモテープを送って、シンガポールのEMIでデビューしました。『普通、日本の歌手は大金をもってきてメディアの枠をどんと買ってプロモーションするのに』と言われましたが(笑)。だけど現地では35歳の新人でも『年齢は関係ないよ』と言ってもらえて嬉しかったですね。本当に新人としてキャンペーンを回りました」

 海外との縁はその後も続いていきます。
二人のお嬢さんを育てながら2000年には法政大学へ、2002年にはなんと英国ウエストミンスター大学へ留学。

「最初の大学の合格通知が来たときは『テストのとき仕事が入ったらどうしよう』とか、一瞬悩みました。でも友達に『そうなったときに相談して』と言われて(笑)。
海外留学のときは、上の娘は高校卒業して専門学校へ通っていて、下の娘はまだ高校生だったのですが『1年間よろしね』と言って出ていきました」

 

 お嬢さんたちは「またぁ」と、苦笑いしていたとか。しかしその抜群の行動力とパワーはどこから湧いてくるのでしょう。

「私には私の準備期間があるのです。短いけど(笑)。やりたいことはリストにして形にします。全部には取りかかれなくても、その機会がきたら、半歩足を出すの。そうしたら体が前傾しているから、もう一歩出さざるを得ない。やってみて好きじゃないと思ったら、元の位置に戻ればいいのですよ」

 庄野流の生き方はやっぱりどこか「飛んで」いますが、むしろこれから私たちが見習うべきスピード感のある行動力かもしれません。

庄野真代さん

《3》「国境なき楽団」を設立。音楽で救えることを

 英国から帰国後は、また早稲田大学の大学院へ通った庄野さん。修士論文をどうするか悩んだとき、ふと自分がやってきたことのすべての根底が「音楽」だと気付きました。

「大学のとき、マニラのストリートチルドレンの支援のためにコンサートをしたりもしていたのですね。そうか、音楽を通して人々を支援することができないかと」

 その後2006年には『国境なき楽団』というNPOを設立するまでになりました。今はNPOの形をとってはいませんが、被災地支援や障害者支援、こども食堂などは続けています。

「そのNPOの活動のなかの一環として、基地になるものが必要だと、この音倉というコミュニティカフェを11年前に立ち上げました。音楽のライブイベントに限らず、芝居、落語、朗読などノンジャンルでメッセージを発信しています。壁はアーティストの発表の場にしたり。これからは生の音楽は限られた人しか聴くことができないかもしれませんが、配信と併用したライブをやっていきたいですね」

 8月10日に、配信とライブが行われるそう。庄野さんの新しい時代がまた始まろうとしているのです。

庄野真代さん

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