横内さんが演劇に出会ったのは高校時代。たまたま部員が足りなくて潰れそうな演劇部の先輩から「名前を貸してほしい」と言われたのでした。
「そんなことで入部したのですが、その先輩がお礼にと当時の新進劇団「つかこうへい事務所」の『熱海殺人事件』を見に連れていってくれたのです。こんな面白いものが世の中にあるのかと思いましたね。ひたすら真似から始めたようなものです」
ところが横内さんの才能はどんどん育っていきます。県立厚木高校2年生のとき、夏休みに3日間で書きあげた戯曲『山椒魚だぞ!』が全国大会へ。
時間オーバーのペナルティがついた実質最優秀賞の、優秀賞受賞。
「そのとき、主演したのが六角精児ですから、もう40年以上の付き合いですよね」
横内さんの著書『ホテルカリフォルニア —私戯曲 県立厚木高校物語』(カモミール社)には、六角さんのエッセイも収録されています。そこにはこんな一文が。
「『山椒魚だぞ!』に出演していなかったら僕は絶対に演劇なんかやっていなかったと思う。」
横内さんは作品と演出、そこから生まれる見えざる力で、役者さんの人生を率いてきたのです。
おそらくそれは強引にではなく、なにか包み込むような熱さ、あたかかさで。
大ヒット歌舞伎『ワンピース』の脚本は横内さんの手になるものですが、
歌舞伎を書くきっかけになった出会いは20年ほど前。先代の市川猿之助(現・猿翁)さんが、東京渋谷・PARCO劇場で『PARCO歌舞伎』を立ち上げたこと。横内さんに声がかかったのでした。
「『変なことをかけるヤツはいないか』ってね(笑)。僕は当時、小劇場でSFっぽいものをやっていたのです。それで1990年初演となった『雪之丞変化2001年』を書きました」
雪之丞と浪路が2001年に輪廻転生し、江戸時代にバックトゥザフューチャーする話。舞台美術家の朝倉摂さんの美術で、歌舞伎を見たことがない人にも楽しめる、素晴らしい作品になりました。
「なるべく今の人たちにもわかる言葉にしようという意図もあったようですが、『おまえが』を『そなたが』にするとか、そういうのは最初は直してもらいました。けっこう評判になりましたね。それで当時の中村勘九郎さん(十八代勘三郎さん)たちが悔しがってその後、『平成中村座』を始めることにつながっていった」
1990年代は、歌舞伎の演劇の融合が見事な形で進んでいきます。やがて再び、横内さんは四代目猿之助さんに呼ばれることとなります。
2015年秋に初演された『スーパー歌舞伎Ⅱ ワンピース』の脚本でした。
「原作の長さでいうと、その前に歌舞伎で『三国志』をやったりもしたし、漫画の原作ということでいうと、手塚治虫さんの作品は何度もやっていました。原作さえしっかりあれば芝居にするのは得意。だけど『ワンピース』は1ヶ月以上まず読みました。神話性があるし、因果がつながっている。そこがそもそも演劇的だと感じました。ただ漫画は展開が広がっていくのですが、演劇は筋は一貫していたほうがいいのです。『ワンピース』にはキャラクターの一貫性と、物語として信じられるものがありました」
四代目の妥協のなさに横内さんの気持ちも熱くなりました。
「歌舞伎は半日がかりで見るものだから、ただ楽しいだけではもちません。三代目も四代目も『なんのために芝居をしているのか』ということに妥協がない。お客さんに感動してもらいたい。綺麗なだけでは終わりたくないという思いが伝わってきました。」