朝岡さんがピアノを始めたのは、3歳のとき。
「母が音楽教師で、家でもピアノを教えていたので、生徒さんが来て教えているのをみると、母を取られた気がして(笑)。自然にピアノを弾くようになりました。2歳下の妹もピアニストをしているのですが、どちらかというと、妹のほうが天才肌。私はコツコツ派と言われてきました。それをコンプレックスに感じていた時期もありました。小学生の頃から国際コンクールに出たりはしていましたが、思春期になるにつれ、周囲の期待との狭間で葛藤したり、本当に自分自身で選んだ道なのか分からなくなってしまうこともありました」
迷いはあったとはいうものの、中学時代に全日本学生コンクール全国1位、高校時代にピティナ・ピアノコンペティション・ピアノコンペティションコンチェルト部門上級全国大会最優秀賞などという快挙を成し遂げているのだから驚きです。
大学時代は桐朋大学で最難関といわれる「ソリストディプロマコース」へ。ピアノ科では創立以来史上初の修了者となるのですが、その一方で、なんと心理学を学びにもう一つ大学へ。
「国際基督教大学の心理学専攻と、ダブルスクールしていました。幼い頃からのピアノ一本の道を、一度自分自身で打破してみたかったのだと思います。そちらの卒論は『演奏者の心理について』を書いたので、最終的にはいろいろつながったのです。敷かれたレールを壊したかったけど、再び自分自身で選び取ったのも、やっぱりピアノだった、ということかもしれません」
その「寄り道」はけっして無駄ではありませんでした。その後、月刊ピアノで『ピアノと心理』というエッセイを連載するにも至ったのですから。
そして何よりも、今の彼女がタフにチームワークで作曲活動をすることができるのも、そこで学んだ分析力が役立っているに違いありません。
卒業後、ロンドンのロイヤルアカデミーへ。演奏活動の拠点をヨーロッパに置き、作曲を始めました。
実は、クラシックのピアニストが作曲をするというのは、そんなにあることではないのです。演奏家は演奏家であれという視線が、その世界にはあります。「せっかくここまで演奏家として有名になったのに、キャリアを捨てるのか」と言った人もいたようです。
しかしそこで、大きな出会いがありました。
「ロンドンで亀井登志夫さん、知永子さんご夫妻にお会いして、プロデュースをしてくださることになったのです。それで、オリジナル曲でCDデビューをすることができました。日本のことを思い出してつくったのが『夕桜』。ちょうど今年9月から配信も始まりました」
彼女はロンドン時代に結婚して第一子も出産。帰国してからは双子を出産。人生が大きく動く時期のなかで、心安らぐ美しい曲がたくさん生まれていったのでした。