林さんは和太鼓が世界で受け入れられた理由の一つは「心音のような繰り返しのリズム」にあると考えています。
「太鼓のリズムには二つの要素があります。邦楽における太鼓の役割もそうですが『言葉に楔を打つ』ということ。太鼓や鳴り物によって間合いやイントネーションを作るのです。ただし、これは誰が語るのかによって寸法が変わってきます。言葉を知らないと参加できないのです。ですから、長唄や能のお囃子は日本人でもよくわからない。ところがもう一つ、繰り返しのリズムというものがあります。心臓の鼓動、つまり心音、二足歩行で歩くリズムとか。これは世界中の人、誰にでもわかるのです。在野のリズムと言ってもいいでしょう。アフリカにはこれを組み合わせた太鼓言語があります。我々には理解できない高度な技術です。でも、そのリズムがマイケル・ジャクソンや今のヒップホップの人たちにも脈々と続いているのではないですか」
しかし林さんは最初から易々と音楽家との共演を楽しんだわけではありません。特にオーケストラとの共演は、和太鼓という楽器の特性ゆえ、音量の差に苦労しました。
「最初はオーケストラには評判が悪かったですね(笑)。音量が耐えられない、と。プロデューサーにも『音を小さくできませんか』と言われました。そうしたら観客席にいた『交響的変容』の作曲家、水野修孝さんは『もっともっと、もっとやっていいから』とジェスチャーしているのですよ」
オーケストラに受け入れられていると感じたのは、ベルリンフィルで『飛天遊』を演奏した時から。指揮者も楽団員たちも、高揚し、最後はブラボーの嵐となりました。
「オーケストラも対応してくれたし、僕も合わせられたのかも。時代が変わったのかもしれません。そのあたりから、作曲家も次々に作品提供をしてくれるようになりました。今、オーケストラ作品は11曲あります」
最近では、サックス奏者の上野耕平さん、チェロ奏者の新倉瞳さんなどからオファーがありました。
「すごくありがたいですね。若い才能のある人たちと一緒にできるのはとても嬉しいことです」。