横浜・元町のクリスマスは閑かにきらめく。
駅前の古びたビルにツリーが立ち、スタージュエリーの壁にサンタクロースの人形たちが這い上がる。ゲートのフェニックスが金色のイルミネーションに輝き、花屋の店先にはリースが並ぶ。
幸は店の扉に、宮崎生花店で買ったユーカリのリースを飾った。顔を近づけるとほのかにフレッシュなユーカリの香りがする。一年の埃を払うような、すっきりした香りだ。
いつものように店を開ける時間の前に、お香を一本たいた。ユーカリの香りも入っているお香だ。
ぼんやりしていると、LINEが届いた。
「幸さん 23日の月曜日に、イブのイブをやります。僕の料理を食べに来てください 洸」
幸は驚いて、その文字をしばらく眺めていた。
…佐伯洸は料理が作れるのか。それより何より、店の休日の月曜日に招いてくれるということは、まさか、私のためなのか。
自惚れ。自惚れ。。。。
若い頃の自分なら、気をもたせてすぐには返信しないなんてことをしただろう。でも、佐伯は来月20日には日本を発ってしまうのだ。そんなもったいをつけている時間はなかった。
「ありがとうございます。洸さんが手料理だなんて驚きました。良介さんと恭仁子さんもいらっしゃるのですか」
佐伯からもすぐに返信が来た。
「はい。17時に」
「楽しみにしています。泡とワインをもっていきますね」
持ち寄り、とは言われていないので、何か作っていくのも失礼かもしれないと、幸はお酒を選ぶことにした。
馬車道にあるイタリア食材とワインの店へ、まず出向く。その店は1階こそそんなに広くはないが、2階にある意味物置のような、ある意味玉手箱のようなワインセラーがある。バローロ。バルバレスコ、キャンティのそれぞれでひと棚ありそうなほど種類がある。
「これはいかがですか。1818年創立のオルマンニのワインです。サンジョヴェーゼ主体で、トスカーナらしいワインです。こちらはヴェネトの白で、ルガーナ。アマローネもございます」
白はルガーナにして。幸は赤で迷ったが、バローロを奮発した。スプマンテは超辛口という、ピノノワールから作ったものにした。
17時はほぼ暗かった。
代官坂の急な方を上がると、オレンジ色から群青色に変わっていく空の変わり目が見えた。
おそらく、最初で最後の佐伯洸宅でのパーティーだ。幸は買ったばかりの白いモヘアのセーターにネイビーの少しラメの入ったマーメイド型のスカートでお洒落していた。ワインたちも、白と銀色のリボンがかけてある。
やや息が切れて呼び鈴を押すと、どうぞ、と声がした。おじゃまします、と呟きながら、幸は門を開け、扉を開けた。
もはや引越しの片付けも始まっているようで、エントランスにはダンボールがいくつか積んであった。
「こんばんは」
「ようこそ。あ、ちょっと手伝ってもらっていいですか」
生ハム、コッパの並んだ大皿と、もう一つ空の皿があった。
「ここに、トマトとブファッラとバジルを飾りたいんだけど、お願いします」
「あ、はい。カプレーゼ?イタリアンですね」
「メインはモロッコ料理にしようかなと」
「へえ」
キッチンの上のタジン鍋からはなんとも言えないスパイスとトマトの良い匂いがした。料理好きの癖で、つい質問したくなる。
「いい香り。スパイスはなんですか」
洸はセーターの袖口に飛んだトマトソースを目ざとく拭いながら答えた。
「ジンジャー、クミン、コリアンダー。モロッコ料理はその3つが基本かな」
「詳しいんですね」
幸が驚くと、今度は火を弱めながら答えた。
「嫁がよく作ってくれたんで。チュニジア系のパリ人だったんだけど」
「へえ」
初めての聞くことばかりで、幸は頭がくらっとするようだった。
「娘を産んで、亡くなったんです。その娘も30で。イギリスにいるんですよ」
「それもイギリスに行く理由なんですね」
「まあ、… それはおまけです」
洸は唇の左端をあげて照れくさそうに微笑み、タジン鍋の蓋をそおっと開けた。