冬の空は抜けるように蒼い。
高く枝を伸ばす木に残るオレンジの枯れ葉とのコントラストも美しい。
盛田幸の毎朝の散歩は、実は冬にこそ楽しみがあった。
いつもの冬なら頬を切るような冷たさも、今年はさほどでもない。
何年かして少し毛羽立ってきたカシミアのベージュのストールを髪ごと巻いていると、だんだん汗ばんでくるほどだ。
海の青は空の蒼を受けて、きらめきながら向こうへこちらへと揺れている。
このところ、元町にはなぜか「ヒトサラカオル食堂」のような店が増えた。女性が一人でちょっとしたものを供しているバー、とでも言おうか。幸は競争心などまるでなかったが、それでも静かに「がんばらなくちゃ」と思った。全然気合の入っていない言葉だったが。
常連客は相変わらずやって来てくれる。イギリスに行ってしまった佐伯洸を除いては。
そう、彼のおかげで、彼の周りの女性客がやって来るようになった。
学生時代の彼女だった岡部恭仁子と、マネージャーであり恋人と目されていた沢規子だ。
二人は、あの大晦日の2celloコンサート以降、なんとなく、ここにやって来るようになった。まるで、洸の残り香を懐かしむかのように。
不思議なことに、幸も二人とはなんだかずいぶん前から友達だったような気持ちになっていた。思えば年恰好も、同じくらいなのだった。
この夜は、恭仁子がやって来ることになっていた。なんでも幸に相談があるという。
「こんばんは」
1月終わりの5時は相当暗いから、その挨拶もなじんだ。幸は「こんばんは」と返し、まず飲み物を聞いた。
恭仁子は「薄くしてください」と、ジントニックを頼んだ。
タンカレーのNo.10がグラスに注がれ、氷が入って、ライムがシュワっと舞う。
「乾杯」
恭仁子は一人でグラスを掲げた。幸は水を入れたグラスをちょっとあげた。
「うん。美味しいわ。なんか、献杯みたい」
そう言うと、ちょっと寂しげにため息をついた。ため息をつくと、女性は女性の匂いをまとう。幸はちょっと明るく、でも彼女のしたい話をふった。
「洸さん、向こうで落ち着いたかしらね」
恭仁子は微笑んでえくぼを見せた。
「きっとまだダンボールと住んでるわよ」
幸は楽器だけがそこにある部屋を想像して言った。
「楽器を抱いて寝ていらっしゃるかしら。フランダースの犬のパトラッシュとネロみたいに」
「凍死しちゃったら困るわね」
二人はようやく笑った。
「相談ってなんですか」
幸は笑顔のついでに言った。辛い話にはならないように。