恭仁子はおそるおそる切り出した。
「あのね、週に1回でもいいんだけど、私、ここで働けないかしら」
「え」
「あの、結婚してからも、近所の喫茶店でアルバイトしていたことは何度かあって。できることは、お皿洗いと、コーヒーを淹れることくらいなんだけど。でも、バイト料は時給500円とか…安くてもいいの」
「それは… 良介さんはどう言ってるんですか」
「… まだ言ってないんだけど。ほら、ずっと二人でいるでしょう。気づまりでね。それと、幸さんといたら、いろいろお料理のことも勉強できそうだし。私、少しはお客さんも呼んできます」
「…」
幸は考えた。凛花が結婚して引っ越し、手伝いに来なくなって、土日のランチも自然消滅していた。でもそれなりに、土日のお客さんもいた。ランチというより「昼間から飲める業態にすれば、そういう客も来るのでは」と、常連のセルジュも言っていた記憶がある。
しかし、恭仁子のバイト料を払えるほど売り上げが上がるかどうかはわからない。30秒悩んで、決めた。
「やってみましょうか、土曜日。ランチを12食だけ出して、そのまま、昼間から飲める店にしてみようかと、ちょっと考えていたの。恭仁子さんとなら、いいかもしれない」
恭仁子はぱあっと顔を輝かせた。
「わー!やったー!」
子どものように万歳をした。自分と違うタイプの女性がいれば、違うタイプの男性客も来るだろう、と、幸は経験上、そこはかとない思惑も付け加えた。
「メイクとか、ファッションも、幸さんの迷惑にならないように、ちゃんとしなきゃ」
恭仁子は幸を見つめて言った。
2杯目のジントニックに口をつけると、恭仁子は思い出したように言った。
「洸って、ジンみたいな香水つけてたの、知ってます?」
幸は思い出を巡らした。そういえば、そんな香りがしたこともあるかもしれない。ヒバの木のような爽やかな香りがした気もする。
「ジンの香りって、ジュニパーベリーですよね」
ジュニパーベリーは、茶色くて丸い、胡椒よりはやや大きくてツルッとした実だ。幸は棚からそれを取り出し、一粒砕いて、白い小皿の上に載せ、恭仁子にかがせた。
「そうそう! この香り!」
「これで何かつくりましょうか」
「料理になるの? この香りが?」
「レモンとあいますよ」
鶏のささみを取り出し、筋を取って開き、軽く塩胡椒して小麦粉をまぶしておく。それを潰したにんにくとバタでカリッとソテーしてお皿へ。その鍋でジュニパーベリーとミルクを温め、ライムを合わせ、一塩したソースで、さっと煮込んだ。
付け合わせに、粉吹き芋と初物の菜の花の茹でたものを添える。
「ジュニパーベリー香るささみのライムソテーです」
「いい香り… 美味しいわ」
恭仁子は嬉しそうに一切れ、二切れと口に運び、何かを思い出すように目を閉じた。