暑い外から歩いてきて冷房の効いた部屋に入ると、ふうっと眠くなることがある。
今日は月曜日。ヒトサラカオル食堂は定休日から続けてお盆休みをとることにしていた。
中華街の江戸清で肉まんを買ってきて食べ、幸はテーブルの上でそのままうとうとした。
夢のなかで、幸はまだ子どもで、大阪万博にいた。すべての景色が灼けたカラー写真のような色合いだ。幸はTシャツに短いプリーツスカート、肩から水筒を下げている。家族と来たはずなのに、なぜか一人だ。それも、太陽の塔の背中側を見ていた。
表は金色の顔の下に赤い波線が入っていて、もう一つ白い胴体の真ん中に顔がある。
明るく、優しげだ。
しかし、背中側には黒い太陽の顔が描いてある。ちょっと怖い顔をしている。そして、猫背だ。
怖い、怖い。そしてなんで私は一人なんだ。はぐれたんだ。家族と。
…幸はそこでビクッとして目が覚めた。
スマホが振動してテーブルの上でカタカタと小さく動いた。
電話をしてくるのは、あの人たちくらいだろう。
「ヒトミちゃん、おはよ」
「ママ、おはようございます。明日、大丈夫ですよね」
そうだった。幸は大阪の北新地時代に店にいたヒトミ、ケイの3人で、明日、大阪万博に行くのだった。
最初はどうしても行きたいわけでもなかったが、一生に二度も万博を見られること自体、なんだかありがたいことだし、何より、ヒトミとケイとなら、楽しいに決まっている。
「大丈夫よ、楽しみにしてるわ」
「よかった。苦労してチケット取ったんですもん。夜にして正解でしょ、この暑さやもん」
「私らはもともと夜向きやしな」
「私は今は朝から働いてますえ。おじいちゃん、おばあちゃんと体操して」
「せやった」
ヒトミは夫の経営する特別養護老人ホームで現場を仕切っている。何もせずぼーっとしていても裕福に生きていけるだろうに、働かなければ気が済まない性質なのである。もっとも、彼女の夫も彼女のそういうところに惚れたのかもしれないが。
「1時に車で新大阪へ迎えに行きますんで。ほんで、一旦、荷物をうちに置いて、うちからタクシーで本町まで行って、夢洲へ向かいましょう」
「ありがとう。もう至れり尽くせりで、ほんまに申し訳ない」
もう北新地の店を離れて何十年も経つのに、相変わらず上司扱いしてくれるヒトミに、幸はスマホを持ちながら頭を下げた。
そして、ふとさっき夢で見た万博は1970年で、明日行く万博は2025年なんだと思い直した。
「ママ〜」
ごった返す新大阪駅の改札から少し離れたところで、ヒトミは大きな声で手を振った。ガタイの大きいヒトミは手も長いので、いっぺんにわかった。
「ヒトミちゃん、暑いのにありがとうね。仕事は離れてよかったん?」
「大丈夫です、大丈夫です。それにしてもなんやろこの、インバーター」
「… インバウンド、やろ」
「それです、来すぎや。はよ、ここから出ましょ」
地下に降り、駐車場まで少し歩いてそれだけで汗が噴き出した。
白いベンツに乗り、ヒトミはクーラーボックスからペットボトルの加賀棒茶を出して幸に手渡した。
「クーラーが効いてくるまで、ちょっとこれで涼んでください」
「ありがとう」
加賀棒茶は普通のほうじ茶より香ばしいような気がする。焙煎の仕方なんだろうか。ひと口ふくむと、少し頭がスッキリした。
車はヒトミのマンションのある中津方面に向けて走り出した。新大阪からはわずかな距離だ。
その辺りの大阪の街並みもえらく変わったことに、幸は驚いた。マンションやビルがいくつも建ち、小さなビジネスホテルができて。
「だいぶ変わったでしょ」
ヒトミは言った。幸はうん、と頷いて、窓から上を見上げていた。
「どないですぅ、横浜の商売は」
「ぼちぼちやなあ」
ヒトミは噴き出した。
「横浜の人、ぼちぼち、っていうて意味わかりますのん」
「いや。わからんやろうなあ」
徐々に溶けていくように、幸の大阪弁もスムーズに滑り始めた。