
鎌倉駅から徒歩30分。それでも勝見早苗さんを慕って、たくさんの人たちが毎月料理を学びに訪れます。発想豊かなレシピだけではなく、そこには早苗さんのセンスあふれる空間づくりと心地よいもてなし、そしてみんなが一緒に楽しめるホスピタリティの心があるから。
クリスマスに向けての笑顔いっぱいのテーブルを特別に覗かせていただきました。
大きなクリスマスのリースがついた白い扉を開けると、大きなキッチン、12人が座れる長いテーブルが目に止まります。
エプロンを手に続々と集まる人たち。皆てきぱきと用意し「さあ今日は何かしら」と、テーブルに置かれた新鮮な食材をチェックします。
ベビーピンクのボレロを羽織った勝見早苗さんは「玉ねぎはみじん切りにしてください」「柘榴の実を取り出して、苺は6等分に」などと指示を出していきます。生徒さんたちは、勝手知ったる人ばかり。それぞれに自分の持ち場を探して調理の準備を始めます。
「このレッスンを始めて30年以上になりますね。その頃からの方もいます。来てくださっている方々は、ご自身でお店をやっていたり、何十年も家で料理をされてきて、ひと通りのことができる人たち。結婚前に基礎を学びたいような若いお嬢さんはいません。そうそう、料理は教えるほどの腕前だけれど、パンだけは学びたい、という人もいらっしゃいますね」
勝見さんのレッスンは前菜、メイン、パン、デザートとすべてが揃っていて、その流れ、味付けの塩梅がひとつのストーリーになっているようなのです。
特にパンは、息子さんが鎌倉のレンバイにお店を構える『パラダイスアレイ』のほか、沖縄の米軍基地のそばにあるパン屋さんもプロデュースしたほど。
この日は「デンマークのお祝いのパン」が。
「お祝いと言っても、そんなゴージャスなパンではないのですが、ゴルゴンゾーラとバターを混ぜたスプレッドをつくって、一緒にいただきます」
焼き上がったパンはパリで買ってきたというバケット用の細長い籐のかごに、くりんくりんと、丸くおさまりました。
スプレッドは氷と庭に育ったタイムを敷いた大きなマルガリータ・グラスに。
それだけでも、見た目にもうお祝い感が漂いました。

この日はクリスマスのメニュー。
前菜には、真鯛のカルパッチョを山盛りのミモレットチーズで食べる一皿。
真鯛は勝見さんのご主人がその朝に小坪から買ってきたくださったとれたての鯛です。
三枚におろしたものを、生徒さんたちは薄く薄くカットしていきます。なかなかの熟練の技。
一旦それを冷やし、皿に並べてから、塩、黒胡椒、紹興酒、EXオリーブオイル、そしてミモレットをオレンジ色の雪のように削ります。
「香りのいいお酒なら、紹興酒でなくてもいいですよ。このメニューは、料理家の野村友里さんが祐天寺に出されているババジジハウス(babajiji house)のポップアップで、尾道のBISOUというレストランの方が出していらして、教えてもらったんです」
友人たちと話題のレストランに行くと、勝見さんは美味しかったものを覚えておいて、再現できるのです。
この日の器も、そんなふうに見つけたものでした。
勝見さんの食器棚には洋皿が多いのですが、珍しい和のお皿です。
「十場あすかさんという若い作家さんのものです。私は大皿が好きで、10人前を盛り付けるような大きいものはほとんどコンランショップか、海外で買ってきたもの。一人用の皿は、IKEAのものもあります。でも今回は、このお皿がとても良いなあと思って、同じものを5枚で3タイプ、15枚つくってもらいました」
勝見さんの食卓は、たくさんの人たちがやってくるので、15人分の食器とカトラリーは、フル回転しています。
「カトラリーは閉店したレストラン、ジョージ・アンドレイの方がくださったものなんです。とても素敵なレストランだったんですよ」
自分の好きなもの、センスに合うものを時間をかけて集めてきた勝見さん。1箇所で揃えたものよりも、温かみも深みも感じられます。それはその時々の想いやエピソードが詰まっているからではないでしょうか。

大勢の人をもてなせるのは、勝見さんが鎌倉に生まれ育ち、近所に子どもたち、親類、友人たちがたくさん暮らしているからかもしれません。
「そうですね。レッスンに来てくださる皆さんが、一つでも何か気に入ってくださったらいいな、と。いつも皆さんがわいわい楽しそうにしているのを見るのがすごく好きなんです」
たくさんつくってみんなで食べる。もともとそういうことを楽しんでいた勝見さんは、10年前に友人達と3人で、メキシコにレストランを開いたこともありました。
メキシコと言っても、モレーリアという、丘の上の高級住宅地。
「友人を訪ねたのですが、場所が素晴らしく美しいところだったんです。ただ映画の『ゴッドファーザー』に出てきそうな人たちも住んでいるんですけどね。タクシーは一人で乗るのは危険だから、必ず二人でと教わりました。地元で一番権力を持った政治家のような人が、友達の親戚にいて、市場のことも面倒を見てくれたからお店を出せました。青山の同潤会アパートのような感じの1軒を、3人で買って。お店を2階にして、3階は居住スペースにしました。建物のあたりは幸せの小径という名前がついていたほど、素敵なところでした。3年がかりくらいで準備して、現地でテーブルや椅子もオリジナルで作り、日本から本物の塗りの器をたくさん送ったりしました」
日本人が洒落たレストランをやるというので、現地では話題になりました。しかし、問題が一つ。
「日本人がレストランをやっている、というなら、日本人が誰か常駐しないといけないということになりました。メキシコは遠いですからね。一人はそこにいられたんだけれど、私ともう一人は、夫が『3ヶ月も居ないのは嫌』だと。それはそうですよね。だからといって離婚してまで行きたくもなかったし。いろいろやってみましたが、やっぱり、店をやるなら、親子か夫婦なんじゃないかな。だんだん、考えが違ってきました。私は趣味の一環だったんです。空間をつくったり、料理のメニューを考えてつくるのは大好きだけれど、ビジネスには向きませんでした。準備を含めれば10年くらいの間のこと。今は、友人たちと『メキシコ物語』と呼んで、懐かしんでいます」
それなりに成功はしたそうですが、残念ながら今はもう、そのお店は閉じてしまったそうです。料理や雰囲気は、きっと世界のどこででも通用するような、素敵なレストランだったに違いありません。
「トータルに考えるのは好きなんですね。空間、しつらい、メニュー。全てを含めて提案するのが好きなのかもしれません」。

話しているうちに、メインのチキンが焼けました。今回は丸鶏ではなく、胸肉にミンスミートを詰め、クッキングペーパーに包んで焼いたもの。
「いつも丸鶏だと飽きてしまうから、たまにはこういうのもいいでしょう。ミンスミートは、レーズン、紅玉、胡桃の実などをバターとブラウンシュガーで炒め、シナモン、クローブ、レモンの皮と汁、ブランデーで漬け込んだもの。瓶に入れて冷蔵庫に入れておくと、1~2ヶ月は持つので、フルーツケーキやクッキーにも使えますよ」
なんともリッチな香りは、日常的に食べられている鶏の胸肉を一気におめかししてくれます。
トレビスとビーツのサラダを添えれば、彩りも豊かに。
デザートは、ラズベリーのピンク色のムースに、柘榴と苺を飾りました。
特にクリスマスでなくても、こんなごちそうならどんなお祝い事にもぴったりです。
「今日はひいらぎの花が咲いていたので」
白い花は、ジャスミンの花に似た気品ある艶やかな香りがしました。
ひとつひとつの料理からも、美味しい香りが漂い、テーブルを囲む人たちの声のトーンが上がっていきます。
ひとつひとつのメニューと、それを引き立てるセンスは、人と人との心をときほぐし、柔らかくつなぐものでもあるのです。


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