《3》
スープが運ばれてきた。冷たいヴィシソワーズだが、どうやらにんじんが入っているようだった。
「あ、にんじんだ」
きれいな発音で、隣の男性がつぶやいた。やっぱりBay TVのアナウンサーだ、と、多美子は確信した。そして、思いきって場を仕切りに出た。
「簡単に自己紹介しませんか。名前とか呼び名だけでも。私はタミーって呼ばれていますけど」
向いの女性は「ありさ…有紗」さん、その隣の女性は「まき…麻貴」さん。黙っていた隣の女性もやっと小さな声を出した。
「私は…トノムラです。殿様の殿に村」
アナウンサーらしき男性は、苗字でも名前でもなく、よく通る声で言った。
「なーくん、でお願いします」
梶浦直人。Bay TVのアナウンサーだ。やっぱり。多美子は吹き出しそうになった。脳裏に急に彼の顔が現れてきたからだ。なーくん、というような年齢でもルックスでもない。
笑いをこらえていると、もう一人の男性、苦オレンジの匂い濃すぎ系が言った。
「じゃ、僕はおっくん、かな」
なんなんだ、と多美子は笑いそうになりながら、トノムラという隣の女性に話しかけた。
「あまりしゃべらないんですね」
「あの私、友達の代わりに来たんです。どうしても残業だから、代わりに行って、って言われて。私、こういうところに慣れていなくて、何をしゃべったらいいかわからなくて…」
「殿村さん、お声を聞くと若そうだけど、ふだん何にご興味があるの… 」
「鉄… いや、旅行とか」
そのとき、ガラガラがっしゃーんと、大きな音がした。
失礼しました、とか細い声が聞こえ、人が集まってくる。どうやら、料理をひっくり返したらしい。
自称・なーくんのアナウンサーが、呆れた声のあと、突然、怒鳴り始めた。
「いいかげんにしてくれよっ。わざわざ来てやったのに、なんだこれっ。弁償してくれよ、このジャケット、20万はしたんだぞ」
「申し訳ありません」
あまりの怒声に、多美子はおそるおそるアイマスクを外してしまった。有紗と麻貴もその気配にマスクを外した。殿村だけが、はずせずにうつむいていた。
なーくんこと梶浦直人アナウンサーは、アイマスクを叩きつけて、横井やその他の代理店関係者がまとわりついて謝るなか、会場を去っていった。
しばらく会場が騒然としたが、やがてメイン料理となると、進行は元に戻った。
しかし、多美子たちのテーブルは、気持ちがざわめいたままだった。