《3》
編集長たちのディナーは、いつもの空気と変わりがなかった。
このうちの何人が、さっき横井が教えてくれたあのニュースを知っているのだろうか。
いや、知っていたとしても、いくつかの雑誌はすでにウエブ部門を立ち上げて成功しつつある。遅れているのは老舗出版社の数誌だ、と、多美子はギャルソンが引いてくれた席についた瞬間もそのことを考えていた。
だいたい、このところ、ハイブランドの編集長パーティーは7〜8割がアジア圏の雑誌の人たちだ。この比率は10年前は逆だった。プレス・パーティーでも、7~8割は顔も見たことがないブロガーが幅をきかせている。
いよいよ『Luck Me』も、ウエブに移行しなくてはならない時期なのではないだろうか。
多美子の座った丸テーブルには、ちょいワル系男性誌の名物編集長・岸場卓士や、料理評論家の岡典子ら、ひと時代を作った感じのある人物が並んでいた。
シャンパンはすっきりしたヴーヴクリコが注がれ、アミューズには、スプーンに乗った薄いグリーンのムースの上にキャビアが載ったものが供される。
誰もが当たり前のようにそれを口に入れる。
「ああ、美味しいですね。このムースは、何が入っているんだろう、キャビアをすっきりさせているな」
岸馬が独り言のように言ったので、多美子も独り言のように言った。
「ライムかしら」
すると、岡典子がわけ知り顔に説明してくれる。
「ライムは果汁だけで、この緑の色は何か別の天然の海藻の色ではないかしら」
多美子はそういえば、海っぽい匂いが少しした、と思った。
こういう場所では、いきなり仕事の話を誰もしない。他のブランドの話もあからさまにはタブーだ。まあ、多少お酒が入ってくれば、関係ないのだが。
ふと、多美子はいつも端正にネイビーのイタリアン・スーツを着こなし、年中陽に灼けている岸場に尋ねた。
「岸場さんって、一人っ子ですか」
唐突な質問に岸場は笑って、シャンパンをひと口飲んでから答えた。
「いえ、弟がいますよ」
「へえ」
「意外ですか」
「…ごめんなさい。勝手な想像なんですけど、何かこう、一人息子で、大事にきれいに育てられたっていう感じがしたもので」
「なまじ間違ってはいないですね。10歳違うんですよ。だからまあ、僕は一人息子みたいに10年育ったわけだし、弟もまた、僕みたいなうるさい兄貴も加わって、大事に育てられましたね」
「弟さんもスタイリッシュな人なんでしょうね」
「あいつはどっちかというと、着るためのファッションは飽きたみたいですね。今、ウエブの会社をやっていますよ」
「ウエブの… うちの雑誌も考えなくちゃなんです。機会があったら紹介してください」
「いいですよ」
岸場はナフキンで少し口元を拭いながら、イタリア人のように頷いた。