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    第5話 『多美子の出会い《前編》』

《4》

 ディナーは意外に時間がかかった。
多美子は腕時計を見た。少し酔っ払っていて小さなタンク・フランセーズの文字盤がすでにぼんやりしていた。
「あら、もう10時すぎてるんだわ」
デザートを遠慮し、会場を後にすることにした。
主催者は何か不手際があったのかと飛んできた。多美子は打ち合わせがあることを告げて詫び、同席していた面々にも軽く挨拶をして、出口へ向かった。
このホテルは1階がクラブのようなバーになっている。
日頃の癖で、だれか知り合いはいるかなと見渡すと、端っこのほうに、Bay TVの梶浦直人が20代らしき女性たち3人と飲んでいるのが見えた。
嬉しそうに、一人で大きな声で話している。
「懲りないヤツ」
多美子は一瞥して、スマホにメールを打った。
「遅くなってごめん。今、こちらを出ます」。

 バーラジオの扉を開けると、永遠に時が止まっているような懐かしい琥珀の匂いがした。

「お待たせしました。ごめんなさいね」

 横井の隣に見知らぬ顔があるのを見て、多美子はあえて丁寧に詫びた。

「紹介するよ。岸場社長。トレイラー・トゥ・ビーっていうウエブの制作会社を経営してる人」

「はじめまして」

「はじめまして。集学社の鍵崎です」

 名刺をまじまじ見て、多美子は酔いが覚めた。

「岸場鷲士… あ、ひょっとして岸場さんの…」

「あ、はい、兄は出版にいます」

「ですよね。ああ、びっくりした。さっき、お兄様と一緒のレセプションで」

 多美子はまじまじと岸場鷲士の顔を見た。兄のように整った髭ではなく、やや無精髭。髪は女の子の短めのボブのようだ。兄のようなイタリアン・スーツではなく、白いTシャツに洗いのかかった生地の黒いジャケットを着ている。
兄弟といえばなんとなく顔も似ている気がするが、人柄も生きている方向性もまったく違う感じがした。

「タミー、コート、脱いだら?」
横井にそう言われたものの、多美子は初対面の彼の前で、その下のデコルテの開いたワンピース姿になる勇気がなかった。50歳のドキドキは、拒否することから始まっていた。

「いい、ちょっと寒いから、着とく」

 そう言って座り、酔い覚ましに「薄いジントニックを」と頼んだ。

 横井と鷲士それぞれ違うものを飲んでいるようだった。3人で乾杯すると、早速、横井は本題に入った。

「岸場さんの会社は代理店部門もあって、センスのある制作もできて、っていう、会社でさ。ウエブの会社って今まで営業先行できてるから、実は両方できてないところが多かったりするんだけど。Catch Meのウエブ版をここで頼んだらどうかと思って」

 多美子はあまり回っていない頭のなかで最大限にいろんなことを考えた。この人と組んだら、他者の岸場卓士にいろんな情報が漏れやしないか。だいたい、会社からどれくらい予算が取れるのかがわからない。でもこの人と組んだら楽しそう。いや、個人的にはちょっと好きかもしれない。…
そして、冷静に二人の顔を交互に見ながら、言葉にはこう出した。

「ありがとうございます。一度、御社のホームページなどをちゃんと拝見して、うちでやりたいことと、うちの社でどれくらいの予算が組めてそれが折り合うかどうか、やってみます」

 岸場は当然そうでしょう、と頷いた。が、横井は杓子定規な答えに、手元のストレートのウィスキーをぐいーっと飲み干して、言った。

「あのさ、タミー、ここ、営業もできるからさ。なんだったら、俺もDを辞めてこっちへ移ろうかってくらいに思ってるんだよ」

「え」

「だってさ。雑誌広告部なんてこれからいばらの道だよ。苦しいことしか待ってないじゃん。異動を待つよりさ、もう新しいほうにかけてみようかと思ってさ」

 多美子は横井がかなり酔っ払っていることに気づいた。そして、自分には「ここはまず冷静に」と、言い聞かせた。

「横井くん、まじで言ってんの」

「俺はまじだよ!」

 横井はかなり酔ってはいるが、だからこそ本音が出たようだった。
その発言に鷲士も少し驚いたようで、彼は多美子の顔をじっと見つめた。
40歳で、制作も営業もできてDと渡り合える会社を経営し、それでもどこか少年っぽさがある、飾らない優しい瞳。兄の卓士の完成されきった見た目のファッションよりも、もっと人の奥底で勝負しようとしている瞳。そして、最先端の業界でなお先へ進もうとする野望を秘めた、瞳。
多美子はその瞳をそらさずに受け止めた。
3秒。
その3秒で、多美子は鷲士のことが好きになってしまった。

To be continued…

★この物語はフィクションであり、実在する会社、事象、人物などとは一切関係がありません。

  1. 4/4

作者プロフィール

森 綾 Aya mori
https://moriaya.jimdo.com/
大阪府生まれ。神戸女学院大学卒業。
スポニチ大阪文化部記者、FM802編成部を経てライターに。 92年以来、音楽誌、女性誌、新聞、ウエブなど幅広く著述、著名人のべ2000人以上のインタビュー歴をもつ。
著書などはこちら

挿絵プロフィール

オオノ・マユミ mayumi oono
https://o-ono.jp
1975年東京都生まれ、セツ・モードセミナー卒業。
出版社を経て、フリーランスのイラストレーターに。 主な仕事に『マルイチ』(森綾著 マガジンハウス)、『「そこそこ」でいきましょう』(岸本葉子著 中央公論新社)、『PIECE OF CAKE CARD』(かみの工作所)ほか
書籍を中心に活動中。

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